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2018-09-20 10:39:05
ノーセールスが続く営業が飛び込んだ一軒の借家。
「入んなさい。」のひと声から思わぬ展開に。
退去を目前に控えたお客様と新人営業のお話




新人研修制度が採用された最初の年、上司や先輩も疑問や不安を抱える新人の私をどう扱ったらいいのか解らなかったのだろう。とにかく1,000枚以上のポスティングを毎日するよう指示された。結果が伴えば良かったが半年以上ノーセールスが続き、“このままじゃダメだ!”と私は焦っていた。

昭和レトロを漂わせる同じ形をした戸建てが10棟ほど集まった社宅と思われる一帯にポスティングを行った。“古い家屋に住む借家の住人が新築戸建てを買うと思うか?”と先輩に説教されたかもしれないが、結果が欲しかった私はポスティングした翌晩に同じ社宅に飛び込み営業を行った。

20時過ぎ、1軒だけ明かりが強く漏れる家があり、吸い寄せられるように近付くと子供たちのにぎやかな声が聞こえてきた。

(ダメ元だよ・・・)

心の中でつぶやきながら、呼び鈴を押した。


ピンポンという懐かしい音のあと、“は〜い”という大きな女性の声とともに玄関の扉が開き、ポスティングしたチラシの件で訪問したことを伝えた。

「今見てたのよ。入んなさい。」

女性は玄関口で話をしようと思っていた私を“早く!”と半ば強引に家の中へと誘った。

「お隣りの奥さんもいるから。」

“そんな時にいいのか?”と思ったが、すぐに謎は解けた。居間の座卓には私がポスティングしたチラシが2枚あり、向かい合ってそれについて話していたことは誰の目にも明らかだった。

『どこ?』
「いつも行くコンビニの近くよ。不動産屋さん、違う?」
『あそこね。本当に2棟だけ?』
「そのくらいの更地だったよ。そうよね?」
『あそこなら保育園も変わらなくてすむね。』

おふたりから矢継ぎ早に質問された私は、事態を整理するため両家とも新居を探しているのか尋ねた。

「そうよ。だからこんな時間に話してんじゃない。」

その借家は旧国営企業時代に建てられた社宅で、マンションへ建て替えるため、別の社宅への転居を提案されているという。子供の教育環境や住み慣れた街という理由もあったが、一番の問題は親しくなった両家が離れてしまうことのようだ。他家が間に入ることさえ拒み、とにかく“お隣りさん”を望んだ。

2棟建てフリープランの未公開物件は両家の望みを叶え、誰かに干渉されることもない。私が訪問したタイミングは、そんな理想を語り合っていた時だった。

『他の社宅はマンションだしね。』
「壁一枚の近所付き合いなんて無理。」

“今晩中に詳しい資料をお届けします”と切り出して私はようやく解放された。滞在時間わずか30分ほどだったが、緊張と圧倒が疲労を増幅させた。

すぐさま会社に戻り、資料を揃え終えた頃には22時を過ぎていた。お子様が寝ている時間に音を立てれば迷惑になると思い、“夜遅くにすみませんでした”と書いた手紙を資料に添えて両家の郵便受けに忍ばせ、その日を終えた。



翌朝、両家に電話を入れてご主人の帰宅時間の確認と資金的な話があるので両家別々に打ち合せしたいことを伝えた。まず前夜に伺った家を尋ねると資料が届くことを楽しみにしていたご夫婦は、深夜遅くまで戻ってこない私を心配したという。

「昨日の時点で、買うつもりだったけどね。」

そう話す奥様の横で、こくりと頷くご主人は驚くでもなく優しそうに目を細め、申し込み書類を記入していった。

「そろそろお隣さんのところへ・・・。説明も時間かかりますし・・・。」

私が言いかけると奥様は遮るように言葉を被せた。

「お隣りは、大丈夫。うちが書けば、黙って書くわよ。」

そんな訳ないだろうと思いながらお隣りを尋ねると、待ってましたとばかりに勢いよく扉が開いた。

『お隣りは書いたんでしょ?じゃあ、説明はいいから。すぐ書くわよ。』

両家の親密な関係を垣間見た光景は、その後も度々目撃した。モデルルームを仲良くチェックしたり、工務店での打ち合せもいっしょにすることもあった。

引き渡し前の最終確認で見た家の外観は、鏡で映したように瓜二つだった。間取りや内装まで合わせることはなかったが、お互いに我が家との違いを見つけては感心し、喜ぶ姿が印象的だった。

「またお隣り同士。これからもよろしくね。」

最終確認を終え、両家は物件前の小道であらためて挨拶を交わした。私にはその光景が、10人ほどの大家族と新しい大きな一軒家がそこに存在しているように映った。



変わったものと変わらないもの



引越しが落ち着いたころ挨拶に向かい、以前と同じように先に訪問する家のドアホンを押した。玄関のドアが開き私を一目した奥様は、躊躇なくお隣りに向けて大きな声を上げた。

「不動産屋さん来たよー!」

お隣りさんとの関係は変わっていなかった。私は、子供の頃に毎週楽しみにしていた日曜夜の国民的アニメのようなお隣り付き合いがちょっと羨ましかった。

2018-09-13 14:33:29
聴覚障がいをもつ男性からプロポーズされた女性。
感情を込めた筆談で打ち合せを行い、3度に渡って営業を頼った
お客様と自分たちの不動産屋さんになった営業のお話




お客様から3度の架け橋役を担った。

最初の架け橋は、マンションの仲介。10年ほど前にふらりとお店の前に現れたおふたりは、とても親しげな落ち着いた雰囲気を醸し出す入籍前のカップルだった。

物件情報を眺めるカップルに声をかけると、先に反応したのはのちに奥様となる女性だった。そして、女性に二の腕を触れられて私に気付いた男性の耳には補聴器があった。

新居探しのために来店したカップル。聴覚に障がいをもつ男性がプロポーズをしたのは3ヶ月前のことだった。しかし、先に進む勇気が持てない男性と進展しないもどかしさを抱えた女性は、ともに過ぎていく時間に焦りを感じていた。そこで、新居でふたりの生活をスタートしようという話になったという。

それを私に話してくれたのは女性で、その内容を男性へ手話と筆談で伝えた。とりわけ女性の新居探しから人生を先に進めたいという思いを聞いた私は、是が非でも応えたかった。

女性による手話のサポートもあったが筆談を中心としたコミュニケーションは、想像以上に時間や手間といった労がかかるものだった。とくに専門用語を噛み砕きわかりやすく説明するのは大変だった。それでも、おふたりの希望する条件に見合うマンションが見つかり、数日後には契約へと話が進んでいった。それが最初の架け橋だった。



2つ目の架け橋は、おふたりの人生にとっては新居探し以上のとても重要なものだった。

新居となるマンションも決まり金融機関に住宅ローンの融資を申請すると、入籍後の住民票を提出することが条件となった。この事実を奥様となる女性に電話で伝えると、女性は強い願望を伝えてきた。

「住宅ローンの条件だから入籍をするのではなく、彼の意志で、彼の言葉で入籍したいんです。」

私もその意見には賛成だった。そして、次回の来店時に私から男性に問いただして欲しいと依頼を受けた。

その週末、契約の手続きを進めるため、おふたりにご来店いただき、男性の揺らぎない意志を確認することにした。

奥様 主人 家 家族
守る 務め 結婚 入籍

一枚の紙にこれらのワードを順に書き、下線を引いたり、丸で囲ったり、あえてなぐり書きにしてみたり、ワードとワードを線や矢印で結びつけたりと感情を筆談で伝えるのは、とても難しいものだった。

「奥様と生活するために家を買う。」
「家族と家を守るのが主人の務めです。」
「家族とは奥様と結婚すること。」
「そのスタートが入籍です。」

私はひとつひとつを口にしながら感情論の筆談を進め、男性は私のペンと筆跡を目で追い、女性はそれをじっと見守り続けた。

家・奥様 → 守る → 入籍
家・奥様 → 守れない → 別れ

どっち?

そう男性に筆談で伝え、私は婚姻届をそっと差し出した。すると、女性に手話で何かを伝えた男性はペンを手に取ると自分の意志で婚姻届に記入していった。その時にふたりが交わしたものが何かはわからなかったが、女性の幸せそうな表情がすべてを物語り、深々と頭を下げた男性からは“ありがとう”という言葉が私にはハッキリと聞こえた。

晴れてご夫婦となったおふたりは、ご主人の実家から15分ほど離れた場所のマンションで新婚生活を送りはじめた。それが2つ目の架け橋だった。



それから7年後、奥様から久しぶりに電話があり、3つ目の架け橋役を任された。その7年の間には、誕生日のお祝いメールと年賀状が毎年届き、旅行に行けばお土産を届けていただいたこともある。

古い家屋で暮らす足腰の弱ったご主人のご両親の元へは頻繁に通っており、義理のご両親と良い関係を築いていた。ならばいっそのこと、二世帯住宅を建て、より近くで生活をした方がお互いにとっていいのではないかとご夫婦で話がまとまったという。そこで、“ご両親の説得の場に私も同席して欲しい”というお願いの電話だった。私はもちろんそれを受け、約束の日時にご主人のご実家へ向かった。

マンション購入の際に一度お会いしていたが、あらためて奥様がご両親へ私を紹介した。

「自分たちの不動産屋さん。だから、安心してください。お義父さん、お義母さん。」

“自分たちの不動産屋さん!!”

はじめて聞いた言葉だった。ここまで信頼してくださっているお客様とは、3つの架け橋役だけでなく、これからも関係が続くと思う。



なんでも相談します



ご両親にも信頼していただき、仮住い先やトランクルーム、解体から施工、そしてマンションの売却まで、すべてを任された。その間、おふたりがお揃いの時はご自宅へ伺って打ち合せを行い、連絡は奥様の電話に入れた。

ある日、奥様からメールが入った。

「家のこととか関係なく、困ったらなんでも相談します。」

たまには気兼ねなく話せる相手も欲しくなるだろう。

2018-09-06 15:47:55
住宅を買えるまで2年間。
お客様と営業の関係は、友人や家族のように。
営業を信頼して2年間待ち続けたお客様といつかお客様になると信念を貫いた営業のお話




「今から見れます?」

その物件の近所にお住まいの男性から電話が入り、物件資料を鞄に詰め急いで現地に向かった。早く着き待機していると、健康のためにはじめたというロードバイクに乗って電話の主はやってきた。

更地の物件を指差しながら、建物の大きさや間取りといった完成イメージを伝えるととても気に入ってくれた。ところが物件価格を伝えると男性の表情は瞬時に曇った。

「そっかぁ・・・。」

更地の物件を眺める男性の表情は、待てども晴れることはなかった。

「よろしかったら他の物件を、家探しを私にお任せください!」

男性の無念を断ち切るように、そしてお客様の物件探しの意欲を探るために、相手を推し量る言葉をぶつけた。すると応じるようにお客様は、探している物件の条件を話しはじめた。家族構成や仕事などに及んだ男性との立ち話は、30分もあれば互いを理解できた。

「次会うときは、うちで飯でも食っていけよ。」

別れ際にそう言い残した男性は、ロードバイクで颯爽と走り去った。



翌週、男性だけでなく奥様とお子様たちを連れ立って、近所の新築戸建てをいくつかご案内した。その合間、住宅ローンに関する話題になり、カードローンの借り入れを匂わせる男性の口ぶりが気になった。しかし、住宅ローンを組むにあたり、大きな障壁となるものが他にあった。

物件の案内が終わり、腰を据えて住宅ローンの話をしましょうと切り出すと、男性は先週の言葉を口にした。

「うちで飯でも食いながら話そう。何か用意できるよな?」

私は様子を伺うように隣にいる奥様へ視線を向けると、奥様は一点の曇りもない表情でご主人の意向に同調した。

「狭くて賑やかなところですけど、主人もそう言っておりますのでぜひ。」

きっと時代が昭和ならば、亭主関白と良妻賢母という言葉がピタリと当てはまるワンシーンだった。ご自宅に招かれた私はダイニングテーブルでご主人と向かい合い、奥様はすぐ横で夕飯の支度をはじめた。温かいもてなしをされるほど切り出しにくくなると思った私は、早々に本題に入った。

「今は住宅を買わせてあげることができません。でも、必ず2年後に新しい住宅を提案します。」

大きな障壁とは独立開業して間もないことだった。現在ならば、確定申告書類があれば審査できる住宅ローンもあるが、当時は3期分の書類が必要だった。

「わかった。逆に、なんかごめんな。」

すべてを伝えていなかったことに自責の念を抱いたご主人は理想のマイホームを語りはじめ、夕飯をいただいている間も続いた。喉の渇きを潤すように時折口へ運ぶビールが実に美味そうだった。



“一度でも応対した人は、いつか必ずお客様になる”

効率を考えろという周囲の声もあったが、信念を曲げずに2年が経過した。その間は電話だけでなく、何度もお客様のご自宅に遊びに行ったりもした。私が現地販売会を行っていると知れば、そこへ足を運んでくれたりもした。2年という長い月日は、私の中でお客様から友人に変わるほど濃密な関係を築かせてくれた。

約束の日が近づいた時、売主様から物件情報が届いた。4LDK3階建てで日当たりの良い物件は、車2台とロードバイクやお子様の自転車を駐められる広いスペースもあった。それはお客様が求め続けた物件の条件にピタリと一致するもので、“この物件を紹介するのは、あのお客様しかいない!”と体の中がじわじわと熱くなるものを感じた。



2年間語りあった理想の物件が目の前に現れ、すぐにご主人に電話を入れた。

「2年間お待たせしました。最高の物件が出ました。今晩、資料を持って行きますので、ハンコを用意しておいてください。」

仕事中に電話でいきなりこんなことを伝えられれば、誰もが少し間を取って心を落ち着かせようとするはずだが、ご主人はそうではなかった。

「わかった。楽しみにしてるよ。」

ご主人の口ぶりはいつもと変わらなかった。電話を切るとアポイントが取れたことを店長へ報告に向かった。

「店長!2年間、追い続けたお客様から申し込みをもらってきます。でも、朝まで飲まされるので直帰ということで。」

唖然とした店長が、ちょっと面白かった。



嬉しかったアンケートの言葉



ハウスプラザでは物件を契約していただいたお客様にアンケートの協力をお願いしている。そのアンケートには営業に関する項目があり、私のお客様はびっしりと埋め尽くしてくれる。それが嬉しくてたまらない。

このお客様も記入欄からはみ出すほど書き綴ってくれた。そこにこんな言葉が書かれていた。

「出会った時から、信頼できるなと感じた。仲良くできそうだと思った。」

お客様との出会いを大切にする信念は、より強いものになった。

2018-08-30 15:26:09
寒空の下、店頭の物件情報を眺めていたのはお客様のお母様。
案内中に閃いた物件を気に入った家族。
実家から少し離れた場所をなぜか地元と表現したお客様と新人営業のお話




社会人として初めて迎えた正月明けの1月初旬、ご高齢の女性が店頭に貼られた物件情報を眺めていた。やや身を縮めて寒そうにしていたので店内でゆっくり見てくださいと声をかけた。

「ありがとう。娘夫婦が探しているの。」

年始に家族が集まった時に、話題になったらしい。たまたま店の前を通り、その話を思い出したという女性は、孫娘さんの受験が落ち着いたら本格的に探しはじめるという。寒い中、足を止めさせたのは、娘さん家族を思うお母様の親心なのだろう。

やがて世間話となり、小一時間ほど経っていた。名刺を渡すと、女性は連絡先を残して帰っていった。その後は“焦らず、焦らせず”を心に決め、たまにお母様へ電話を入れて娘さん家族の物件探しの状況を伺いつつ、店舗に来た時と同じように世間話を繰り返した。



4月に入ったばかりの週末、お母様から電話が入った。

「今から、娘たちが行ってもいいですか?」

しばらく店で待っていると娘さん夫婦と2人の孫娘さんがやってきた。馴染みのあるエリアで奥様の通勤に便利な東京メトロかJRを最寄駅とする4LDK以上の物件を5件ほど探し出し、物件を案内するため葛飾区の東へ車を走らせた。ところが千葉県に近いJR線沿いのふたつの物件に、お客様の反応は今ひとつだった。

(何が良くなかったのだろうか。)

そんなことを考えながらも不満を聞き出す話術を持ち合わせていなかった私は、ご夫婦の会話から情報を得ようと聞き漏らさないよう注意を払いながら東京メトロ沿線にある次の物件へ車を走らせた。

「へぇ、こんなにマンションが増えたんだぁ。」
「あのファミレス、懐かしいね。」

会話の内容は過去のご夫婦と縁を感じさせるもので、明らかに今までとは違う雰囲気を感じた。

(あっ!近くに物件があったはずだ。)

記憶の片隅で微かに放つ輝きをたどると、数日前に店長から店舗を上げて販売するように指示があった物件だった。ただ条件である交通機関が異なるため、店舗で探している時には思いつかなかった物件だった。

「この近くに新築4LDKの完成物件があります。希望沿線から外れますが、一応ご覧になられますか?」

そう声をかけると、“地元だしね”と言った奥様とそれに同調したご主人の反応は今までになくいいものだった。ただ、奥様の実家から離れている場所を地元と表現したことに疑問は残ったが、のちにお母様の話を聞いて納得した。



私鉄駅から徒歩8分ほどの場所にある4LDKの完成物件は、奥様のご実家まで徒歩で行けなくもない距離にあり、家の中を見学できたことで先に案内した更地の物件とは明らかに違う反応をみせた。

「私はこっちの日当たりのいい部屋。お姉ちゃんは昼間いないしあっちの部屋ね。」
「何であんたが先に決めてんのよ!」

自分の部屋を互いに主張し合う娘さんたちの様子も楽しそうだった。そして、玄関を入ってすぐのクローゼットを倉庫代わりに使えると自営業のご主人も満足そうに見学していた。奥様はやさしく笑みを浮かべ、楽しそうに家族に声をかけた。

「どう?いいよね?」
「うん。いいね。」
「十分満足だよ。」
「ここにしようよ。ここがいい!」

ご家族の会話が弾み、やや大きくなった声が響く空間からは、私の存在などすっかり消えていた。近い将来に何度も再現されるであろうマイホームでの団欒を私は透明人間にでもなって覗いているような気がした。

ふと閃いた物件を家族みんなが気に入り、それ以降の物件案内を取り止め、店に戻って申し込みの手続きに入った。



店長のフォローがあり契約や住宅ローンの決済も滞ることなく、無事に引き渡しを迎えた。

「若い営業さんが頑張ってくれたから、いい家に出会えました。ありがとうございます。」

ご主人からいただいた言葉は、お客様と物件を引き合わせる仲介を仕事とする私にとって最上級の評価だ。感慨に浸る私より、一層感慨深そうにしていたのは奥様だった。

「パパ、やっぱり地元っていいわね。」



新居を喜んだもうひとり


契約直後、娘さんをご紹介してくれたお母様のご自宅を訪ねた。感謝の気持ちを伝えると、それを上回らんばかりの勢いで気持ちを言葉にしてくれた。

「本当に決まってよかった。それもあなたが焦らずに辛抱強く待ってくれたからです。」

あの頃、他の不動産屋も当たってみたが電話や訪問でのセールスに耐えきれなくなって断りを入れたという。そして、もうひとつ気になっていたことを教えてくれた。

「20年ちょっと前に、あのふたりが新婚生活を送っていた場所なんですよ。新しい家もここから歩いて20分くらいでしょ?」

娘さん家族の新居が決まったことを一番喜んだのは、お母様だったのかもしれない。

2018-08-23 15:58:55
「2DK窓なし一戸建てをすぐ欲しい。」
奇妙な条件とその理由を明かさないお客様に、
経験で培われた常識を覆された営業部長のお話




「部長、どうしたらいいのか・・・。」

困り顔をした営業マンが相談にやってきた。

「お客様が『2DKの一戸建てが欲しい』と言うんです・・・。」

人気物件や掘り出し物件をオススメしても、家族が増えたり住み替えたりといった将来的なことを提案しても、お客様は首を縦に振ることがないという。じっくり話を聞く必要があると感じた私は、部下の営業マンにお客様をお連れするよう指示を出した。

「夫婦ふたりだから2DKでいいんです。」

約束の日、営業に促され来店された男性の要望は全くブレなかった。さらにもうひとつ難解な条件が追加された。

「窓のない家が欲しい。」

お客様に事情を尋ねても住宅事情を説明しても“夫婦ふたりだから2DKでいいんです”と繰り返し、「とにかく早く。急いで欲しい。」と付け加えた。

“窓のない2DKの新築一戸建て”

そんな建売物件など存在しない。2DKの間取り条件だけならまだしも、窓がない家なんて皆無だ。フルオーダーで建築すれば4LDK以上の建売住宅を購入することも可能なのに、お客様は“窓のない2DK”しか頭になかった。

長く不動産業に携わり、多くのお客様に物件をご提供してきた私も“利のない物件”を望むお客様に戸惑った。

「最適な土地探しからはじめさせていただきます。」

お客様の意向を汲み部下へ指示を出すと、男性は深い深呼吸をして席を立った。

「とにかく時間がありません。宜しくお願いします。」

そう言い残した男性を見送った私の頭の中にはモヤモヤが拡がり、時間と経過ともにより一層深く濃くなっていった。



数日後には土地が見つかり、部下がお客様に提案したときだった。地測量図を鞄から取り出し、説明しようとした営業マンを男性は遮った。

「2DKの家が建てられるんですよね?それならば見学の必要はありません。今すぐ契約します。」

見学もせずに契約を申し出るお客様は初めてだ。所在地さえ説明していないのにお客様は契約を急いだ。

“2DKの家を作ってくれ”
“窓のない家が欲しい”
“見学は必要ありません”
“今すぐ契約します”

より一層深く濃くなるモヤモヤに、よからぬことを想像したこともあった。その頃、奥様に一度も会っていないことに気付いた。



多くの疑問を抱えたまま物件を引き渡し1年が過ぎた頃、お客様を担当した営業マンがやってきた。

「部長、お客様の奥様が・・・。ご主人が『お通夜に参列して欲しい』と・・・。」

久しぶりに届いたお客様の近況は訃報だった。

部下と向かった斎場には初めて拝見する奥様の写真が飾られていた。ほっそりとした写真の中の奥様は、ニット帽を目深に着用していた。

「妻は新しい家をとても気に入っていました。『楽しい、楽しい』って毎日のように掃除をしていました。」

ご主人はぼんやりと写真を見つめながら生前の奥様の様子を私たちに語り、契約を結んだ時には末期がんだったことを知った。



「実は全て知っていました。」

参列していた設計担当の先生が口を開いた。窓のない家を望むお客様に建築基準法と消防法の説明しているうちに男性は事情を明かしていたという。

「奥様は何かに怯え、とりつかれたように家中を掃除するように・・・。」

抗がん剤の副作用で抜け落ちた自分の毛髪を見つけるたび、奥様は悲しそうに深い溜め息をついた。やがて長さの違うご主人の毛髪さえ気になっていった。そして過剰に研ぎ澄まされた奥様は、宙を舞う微細な埃や塵さえも追いかけるようになってしまった。

そんな奥様の姿がいたたまれず、塵や埃を目立たせる強い自然光が入らない小さな家をご主人は望んでいたのだった。

「こんな・・・こんなに愛情の詰まった家・・・ないです・・・。」

いつもより細く揺れる声で経緯を話した設計士の先生の目は潤み、充血していた。

お客様の要望を思い返しながら答えを当てはめていくと、私の中のモヤモヤがひとつ晴れるごとにご主人の想いがズン・・・ズン・・・と繰り返し胸を鈍く刺した。

“2DKの家を作ってくれ”
“窓のない家が欲しい”
“見学は必要ありません”
“今すぐ契約します”

そこまで行った時、こみ上げる感情を自分で抑えられなくなり、人目をはばからず止まらない涙をボトボトと落としていた。

“最愛の人をおくる家”

こんな住宅販売はもう二度と経験したくない。


我が家から天国へ


“今日より明日、明日よりその先の幸せ望んでお客様は住宅購入する”

その一心でお客様に多くの住宅をご提供してきた。しかし、ご主人の奥様への愛情が注ぎ込まれた住宅販売は、長い営業経験の中でもっとも強い衝撃を受けた。それまでの常識や当たり前をぐちゃぐちゃに破壊し、新しい見識や考え方をもたらした貴重な経験だった。

最愛の人をおくった家は、10年以上経った今も何ひとつ変わらず存在している。私は近くに行くたびに少し離れた場所から生活感だけを確認して当時の想いを馳せている。

2018-08-16 14:31:20
やっと探し出した物件に躊躇するお客様。
方角や風水に精通するお客様が、最後の決め手にしたものとは・・・。
掘り起こしで出会ったお客様と営業のお話




過去に家探しをしていたものの契約に至らなかったお客様がたくさんいる。その中には、たまたま価格やエリアといった条件が合わなかったり、当時のローン審査では通らなかったりしたが、今ならば状況が変わり条件やローンの審査に問題ないお客様もいる。そんなお客様を探し出し、もう一度アプローチをかけることを“掘り起こし”と呼んでいる。

掘り起こしたお客様を成約まで導くことは、決して高い確率ではない。すでに物件を購入していたり、そもそも物件購入意欲が失せていたり、不動産屋だとわかると無言で電話を切られることもある。ところが、まだ物件に巡り会えていないと興味を示してくれたお客様にたどり着けた。

今も物件を探し続けているというそのお客様には、物件との出会いを難しいものにする“方角”という厳しく狭い条件があった。占いを趣味にしている奥様は、風水や方位学にも精通していた。その他にも価格や小学校に通うお子様の学区問題などもあり、1ヶ月もすると提案できる物件は全滅した。“条件が合う物件が出たら連絡する”と約束したがそれに見合う物件は出ることなく、あいさつと世間話だけの電話を繰り返していた。


半年が経過したある日、奥様から突然連絡が入った。

「ピッタリの物件を見つけました。ハウスプラザさんで扱えますか?」

物件の場所を聞き出すと、すぐさま確認を行った。すると、その物件は売主直販で仲介のハウスプラザでは扱えないものだった。ただ、せっかくお客様が長年かけて見つけ出した物件を諦めたくなかった私は、一度は電話で断れた売主様へイチかバチかのアポなし直談判に打って出た。

「熱いねぇ。そういうの好きだよ。それにハウスプラザさんじゃ断れないよな。」

対応してくださったのは営業の責任者で、“城東で知らない同業者はいないよ”と弊社の役員の名を出した。その存在は絶大で、著書を差し上げることを引き換えに今回限りの特例として仲介をさせていただけることになった。


晴れて条件が整った物件にお客様を案内する日がやってきた。奥様とご主人、そして2人のお子様も一緒だ。価格、広さ、間取り、方角にこだわり、ずっと慎重に物件を探していた奥様もピッタリとはまった条件の家を目の前にすると、今まで抑えていたワクワクやときめきを一気に解放して誰よりも楽しそうに見学していた。ところが見学を終えて資金計画の話になると、いつものように慎重な面持ちに戻り、一歩前へ進む勇気が持てないようだった。

私がアポイントを取りはじめて半年。ずっと探し続けてきたマイホーム。返済を考えれば、40歳という年齢は決断を先送りできるものではない現実もあった。もちろんお客様本人もそのことは理解していた。

「こだわり続けた家。欲しかった家がやっと見つかったんですよね?」

上司のひと言がお客様の背中を押す。すると、今まで家探しに関して奥様が望むがまま、ずっと見守り続けていたご主人が合わせた。

「今までで一番いいじゃないか。よく見つけ出したね。」

それまで一切口を挟むことのなかったご主人の言葉で奥様は一歩前に進むことができた。

「そうですよね。やっと見つかったこんなに素敵な物件にはもう出会えないですよね。」

そう語った奥様の横でその決断を優しく受け止めたご主人は、お子様たちに“ここが新しい家になるんだ”と笑顔で話しかけていた。


一歩前に踏み出したお客様は、見学したその日のうちに申し込みを、その数日後には契約を結んだ。家探しの苦労と決断の重責から解放された奥様ではあったが、今ひとつ冴え切らない表情は以前と変わらなかった。就業時間が不規則なご主人は家事に協力的だったがそれにも限りがあり、必要な書類の多さと未だ現実のものとなっていないマイホームが奥様の日常生活に多少のストレスを与えたのかもしれない。ただそれも引き渡しを終え、新居での新しい生活がはじまると落ち着きを取り戻した。

あいさつに伺った時、奥様は明るい笑顔を見せてくれた。

「やっと落ち着きました。やっとはじまります。」

以前のように何かに委ねるのではなく、自分自身の強い意志がその瞳の奥から伝わるように変わっていた。


掘り起こしから宝物


生活感が現れはじめた新居へのあいさつを終えると、ひとり玄関先まで見送ってくれたご主人がそっと囁くように教えてくれた。

「家を買う時に背中を押してもらった言葉で少し目が覚めたようです。今ではテレビや雑誌の占いも見なくなりました。」

ご夫婦で相談や会話も増え、家の中が明るくなったととても喜んでいた。

お客様の人生に大きく関わることが多い不動産仲介のお仕事だが、このお客様との出来事は、私にとって掘り起こしで見つけた特別な宝物になった。

2018-08-03 14:33:35
どの物件見学でも必ず両手いっぱいに広げるお客様。それは単なる広さの確認ではなく理由があった。
初契約となった“自分たちの家”探しにこだわったご夫婦と新人営業のお話




10年ほど前の新人だった頃、周りの同期が初契約を取り、その勢いで実績を積み重ねようとしているのに、ひとり私だけ初契約が取れず焦る日々が続いていた。

ある日、現地販売を行っていると30代前半のオシャレなご夫婦がやってきた。代官山や自由が丘あたりで見かけそうなご夫婦は、私が担当する城東ではあまり見かけないタイプ。セレブ感ともちょっと違う洗練されたセンスを感じさせた。

「ちょっと広すぎるなぁ。」

そう話したご主人と奥様にはまだ子どもはなく、4LDKの一戸建てはあまりに大きすぎた。まだまだふたりだけの生活を楽しみたいと話すご夫婦にマンションを勧めてみると、“それもアリですね”と気さくに答えてくれた。さらに、個人事業なので通勤がないことや家賃が高いので買ったほうがいいと考えるようになったことを聞かせてくれた。

今ならば、“購入意欲の高いお客様だ!”とすぐに察知できるが、当時の私にはそれがわからなかった。だから、先を走る同期に追いつくことができなかったのかもしれない。



マンションに絞り込んだご夫婦との新居探しは、2ヶ月を過ぎた。少なくとも20軒のマンションは見学してまわった。ふたりで両手をいっぱいに広げたり指で細部を指し示したりしながらどの物件も同じように確認していた。ご夫婦はまるで物件探しデートを楽しんでいるようで、いつもにこやかで笑いが絶えなかった。
「間取りも広さも今までよりいいよね。でも、決め手に欠けるんだよなぁ・・・。」

3LDKの表装がきれいに張り替えられた中古マンションを見学したご主人の言葉に、私は“これもダメか。また物件を探さなくちゃ。”という思いになった。ところが、このお客様と私を常にサポートしてくれた上司の見解は違っていた。

見学を終えてお店に戻り、軽く打ち合わせを済ませてお客様を見送ったあと、デスクに戻ると上司から声がかかった。

「次で決めるよ。」

このまま物件見学を続けても決めきれないと判断した上司は、「次のアポイントでは腹を割った話をするから物件を案内するのではなく、ご自宅かお店、あるいはご主人の職場近くで会う約束を取り付けなさい」という指示だった。お客様の背中を押すのも不動産営業の大事な仕事だということをこの時に上司から学んだ。



数日後、指定されたご主人の職場近くの喫茶店で上司と待っていると、約束の時間よりも少し早くご主人は現れた。あいさつを済ませると、先日最後に見た3LDKの中古マンションの物件資料を鞄から取り出し、ご主人の前に広げた。そこからはあえて上司も私も多くを語らず、ご主人の反応をひたすら待ち続けた。物件資料を手に取り、しばらく眺めていたご主人は、コーヒーを一口含むと“ふう”とひと息吐いて口を開いた。

「しょうがないなぁ。買うよ。」

やや不貞腐れ気味で妥協するかのような言葉だった。しかし、それは気さくに接してきたご主人の照れ隠しだ。その言葉を口にすると、ご主人はおもむろに内ポケットから封筒を取り出した。それはご主人自ら事前に準備していた手付け金だった。その場では受け取れないので契約時にお店へお持ちくださいと伝え、お客様の意志をより強いものに変えるため申し込み書類の記入をお願いした。ペンを持つお客様の手に迷いはなく、必要事項をスラスラと埋めていった様子から、ご夫婦の間ではすでに話は決まっていたのだろう。

ご主人が決断を下した喫茶店での出来事以降、契約やローンの決済から引き渡しまで滞ることもなく過ぎていき、私にとって初めて真のお客様となった。



引越しが落ち着いた頃、新居を訪ねた。あいにくご主人は不在だったが、“よろしくお伝えください”と玄関先であいさつを済ませて帰ろうとした私を奥様は引き止めた。

「“自分たちの家”を見ていってください!」

そう言って通されたリビングを見て私は驚いた。マンション見学をしている時に、ふたり並んで何かを図るように手を広げたりしていたのは“このためだったんだ!”と気付いたそこは、リビングに接した部屋の壁が取り払われ、ひとつの大きな空間が誕生していた。それを内装業者に頼ることなく、自分たちですべてやり遂げたというから自慢したくなる気持ちも理解できた。

新たに大きな空間が生まれたマンションの一室は、本当に素敵な“自分たちの家”になっていた。


セルフリノベーションの先駆者


ずっと誰かに自慢したかったようで、奥様は家探しをしている時よりも晴れやかな表情をしていたのが印象的だった。

今でこそTVや雑誌でも取り上げられているDIYやセルフリノベーション。それを見るたびに10年前の若かった新人営業の自分と初契約のお客様をふっと思い出してしまう。

2018-07-26 15:54:13
一週間で2万枚のポスティング。
ノルマを達成した直後、新人営業とお客様を襲った空虚。
店長のひと言で未来が開いたお客様と新人営業のお話




新人の私が自慢できることは、学生時代にアメフトで鍛え上げた体力だ。口下手な私は闘争心を前面に出すプレースタイルでチームを引っ張り、キャプテンを任された。

社会人になって自慢の体力は活きている。積極的に声をかけることを店長から学び、苦手だったお客様との会話も徐々に慣れた。そんな頃、店長からポスティングの意味や大切さを教えて貰った。

「一週間で2万枚のチラシをポスティングしたこともあったな。」

体育会系のノリが疼いた私は、憧れる先輩のプレーをマネしたように店長の行いを実践した。2日掛かりで2万枚をコピーし、平日は5千枚以上、土日は現場立会いの合間を縫ってポスティング。
木曜日に開始して翌週の月曜日にすべてを終えた充足感は、学生時代に味わったものに似ていた。ただ、2万枚のポスティングを終えたに過ぎない。成約で評価されるのが仕事だ。そう自分に言い聞かせ、ポスティングの問い合わせを期待して2日間の休日に入った。



疲労が徐々に回復すると並行して“問い合わせは入るのだろうか”という不安が大きくなっていった休日を過ごし、休み明けの木曜日に出社して行ったことはポスティングした物件の確認だ。午前10時、売主に状況確認の電話を入れた。

「あの物件?昨日、他所から申し込みが入りましたよ。」

今までの努力が道半ばで終わりを迎えたことに呆然とし、1秒ごとに虚しさが増した。その1時間後、虚無に覆われていた私を電話の呼び出し音が我に返した。よりにもよってポスティングの問い合わせだった。
何とも言えない悔しさを堪えながら、わずか1日の差で決まってしまった事実を伝えた。

「あぁ・・・。」

急に力の抜けた女性の声に心苦しくなった私は、複雑な感情を抑えてお礼と謝罪を伝えて静かに電話を切った。

すると、その様子を伺っていた店長から声がかかった。

「チラシの物件はなくなったけど、同じような条件の物件なら見つけられるだろ?もう一度、電話してごらん。」

店長に促され電話をすると、お客様は連絡先や条件などを教えてくれた。その日のうちに物件資料をお届けする約束をして電話を切ると夢中で物件を探し、夕方にはお客様のご自宅へ資料を届けに向かった。



隣県との境に近い団地の一室で、やや年配の女性が迎えてくれた。そこに社会人2年目の息子さんとふたりで暮らしているが、世帯年収の超過により退去を求められ家探しをはじめたという。
物件資料を手渡した翌日、ふたつの物件を見学させて欲しいと連絡が入り、週末の物件見学には、女性と色白で物静かそうな息子さんがやってきた。

おふたりを後部座席に乗せ、助手席に座る店長のナビゲーションに従って車を走らせた。店長は私に道順を指示すると、後部座席に座るお客様に声をかけ続けた。駅からの距離、周辺環境といった物件情報を紹介するだけでなく、プライベートの内容にも触れたお客様との会話は、コミュニケーションとはこうするものだと私に向けて実践しているようだった。

2軒見学したお客様は一方の4LDKの中古物件を気に入り、申し込みの話になった。ところが、見学のみと思い込んでいた私は、申し込みやローンの事前審査に必要な書類を持ってこないミスを犯してしまった。すると店長は、自分たちの店に戻るよりも近い場所にある支店に電話を入れ、そこへ向かうよう私に指示した。

機転を利かした店長の判断で、タイミングを逃すことなく契約へと話は進んでいった。



心配していたローン審査を終えると安心したお客様は、私との会話も明るいものになった。

「息子が無口で何も話してくれないの。」
「あなたは彼女いるの?」
「素敵な上司に恵まれましたね。」
「ガーデニングをはじめてみようと思うの。」
「最近、体調がとってもいいんです。」

最初の訪問した時にお客様自身は持病の検査を毎月受けていると打ち明けてくれた。心配していたが、良好な状態が続いているようで私は安心した。



心のこもったプレゼント


引き渡しから1ヶ月後、私は郷土から取り寄せた琉球ガラスを手土産に新居を訪ねた。

“ずっと元気でいて欲しいお母さんにはオレンジのグラス”
“お母さんを思いやり、仕事に真面目な息子さんにはブルーのグラス”

そのことをお母さんに伝えていると、外出する間際の息子さんが“ありがとうございました”と声をかけてくれた。

「言葉は少ないけど喜んでいます。責任感が芽生え、仕事も以前より頑張っているみたい。何よりも顔つきが明るくなりました。本当にいい家を紹介してくれて、ありがとうございます。」

息子さんを見送ったあと聞かせてくれたお母さんの言葉は、この仕事に就いたことが間違っていなかったと確信させてくれる最高のプレゼントだった。

2018-07-20 10:45:38
テレアポで鍛え上げられた営業マンが時代の変化で失った達成感。
買ったばかりのマイホームを転勤で手放すことになったお客様とお客様から信頼と紹介者を得ることで失ったものを埋める営業のお話




「家に興味がない。まだ、買うつもりはない。」

そんなお客様に出会った時、身体の中にメラメラと燃え上がるものを感じていた。成約に結びつけた時の達成感は、他の何からも得られない心地よさがあったからだ。

私が不動産業界に飛び込んだのは今から15年以上前。
今のようにインターネットに物件情報は掲載されていなかった。ポステイング、看板、来店といったお客様の反響を待つ受動的な営業方法と、テレアポ、いわゆる電話勧誘で新規顧客を獲得する能動的な営業方法があり、後者はかなり精神的に辛いものだった。

突然の電話に、“興味がない”と断られるのは当然のことだ。99%はまともに話を聞いてくれず何度も心が折れた。それでも、電話からはじまり、物件を購入していただいたお客様はたくさんいた。

“家を買うことなど考えていなかった人に住宅を販売する”

他人の意識を変え、なおかつお客様に喜ばれた経験を積み重ねることで、私は不動産営業として鍛えあげられた。だから現在のように、ネットである程度の物件情報を得て、意識が高まったお客様を成約させることに何か満たされないものを感じている。時代が変わったのだからしょうがない。



そんなお客様の喜びを糧として仕事に励んでいた10年以上前に分譲マンションを購入していただいたお客様から電話が入った。
幼かったふたりのお子様も高校生と中学生になり、手狭になったマンションから新築一戸建てに買い換えていただいたのが半年前のことで、新居での生活がようやく少し落ち着きはじめた頃だった。

「今度、札幌に転勤することになったんだよね。」

家族揃って引越しを決意したので、賃貸物件を探してくれないかという相談だった。頼ってくれたお客様の力になりたかったが情報量が乏しく、現地の不動産屋を紹介することしかできなかった。

またしばらくするとそのお客様から電話が入った。お客様自身で変わりに住んでくれる知人を探そうとしたが心当たりがなく、今度は空き家となる我が家を賃貸にするか売却するかで迷っていた。

私が伝えたのは、遠く離れた地で我が家を気にかけた時、それが苦となりストレスとなるかどうかだった。愛する我が家を他人に賃貸することも想像以上に気疲れすることも合わせて伝えた。

「なるほど・・・。そうですよね。」

長い沈黙と深い呼吸のあとにお客様から出てきた言葉は、相談してよかったという感謝だった。



腹を決めたという連絡が入ったのはその翌日で、私に担当して欲しいと物件の売却を委託された。

わずか2〜3ヶ月しか生活していないその中古物件。実際に見たり触れたりできるだけでなく、ほのかに鼻を刺激する新築当時のヒバの香りがまだ残っていた。更地で売り出した当初から多数の問い合わせが寄せられた物件だけあって、中古物件であってもすぐに次の買い手が見つかった。

無事に委託された物件の売買を成立させ、お客様が最後の挨拶で来店された。契約書に目を通し押印したあと、私にとって一番忘れられないシーンがやってきた。

お客様は銀行のロゴが入った封筒をカバンから取り出し、クルリと向きを変えると封筒の頭に手を添えて私に向けた。その封筒を受け取ろうと私の両手が伸びた瞬間だった。

「ああ、やっぱり、あなたに仲介手数料を渡したくな・・・」

言い終わるより少しだけ早く伸びた私の指がしっかりと封筒の底を捕らえても、お客様の手がそこからしばらく離れることはなかった。

“手を離したら終わってしまう・・・”

そう感じたお客様が、名残惜しそうに最後の時間を冗談交えて楽しんでいるようだった。
10数年ぶりに再会したお客様との半年ちょっとの濃密な関係がそんな思いにさせてくれたのだろう。私にとっては間違いなくそうだった。



しばらくして、転勤先の札幌にいるお客様から電話が入った。

「久しぶりです。マンションか戸建を探している社員がいるんだけど、札幌の物件を仲介できるかなぁ?」

冗談っぽく明るい感じの第一声を聞かせてくれたことが嬉しかった。そして、遠く離れた場所でも頼ってくれるお客様に出会えたことは、営業冥利に尽きると思っている。


つながる縁


失いかけた達成感から私を救ってくれたのは、お客様が新たなお客様を紹介してくれたことがきっかけだった。
札幌に転勤していったお客様も、10数年の間に何名かお客様を紹介してくださった。

今の私は、お客様に満足してもらい紹介者を得ることが何よりの喜びに変わった。
お客様からの紹介者が顧客となり、また新たな紹介者を得る。そんな数珠繋ぎとなりつつあるお客様に支えられて私の営業は成り立っていると言っても過言ではない。

2018-07-12 14:09:29
夢叶わなかった家族への敗戦処理。
それが信頼となり、何度も紹介者を受けることに。
3年後に夢を実現した家族と“できる営業ではない”と自己評価する営業のお話




現地販売会に来場された4人家族のお客様は、駅から少し離れた場所にある喧騒とは無縁の立地をとても気に入ってくれた。
お子様の学区やご両親の仕事や通勤事情といった新居探しでよくある質問だけでなく、子育てや趣味など何気ない会話もいつも以上に盛り上がった。

職人系のご主人はクルマ通勤ということもあって周辺環境と間取りを新居選びの優先事項にあげ、ふたりのお子様は近所に公園があることをとても喜んだ。

「自分たちにピッタリの家が見つかったね。」

そう家族に語りかける奥様が一番盛り上がっていたのは間違いない。
新居の内装や壁材などを自由に選べるセミオーダー方式に奥様の夢は膨らみ、今までの苦労とマイホームに住めるという思いを何度も私に訴えかけてきた。

月々のローン返済も今の家賃を考えればなんとかなりそうな範囲ではあったが、大きなものを抱えることへの不安を覚えたのはご主人だった。“家族で話し合う時間をください”というご主人の意向で、申し込みは日を改めることになった。



数日後、“決めました”という連絡が入り、申し込みの手続きを済ませたところで、住宅ローンの融資が受けられないことが判明した。
独立したばかりのご主人に、金融機関は融資するにはまだ早いという判断を下した。夢を打ち砕かれたお客様の心情は、私には計り知れない辛さがあったはずだ。

「ここまでしていただいたのに、本当にすみません。」

私に向けられたご主人のその言葉は、かえって私に罪の深さを感じさせた。私という他人に自分たちの評価をさらけ出されたことを屈辱に思っていても何ら不思議ではない。

「こちらこそ、本当に申し訳ありませんでした。」

ご主人の横で落ち込む奥様を見た私は、そんな言葉を返すのが精一杯だった。“営業マンとして、ドライに割り切れればいいのに・・・”とさえ思えた。



数日後、成約にならなかったこの件を締めくくるため、お客様の自宅に向かった。
引き渡しを終えたお客様にあいさつへ行くのはもちろん、私は申し訳ない気持ちを抱いたお客様にはより一層心を込めたアフターフォローを行う。お互い気持ちよく次に進むためにするそれを私は“千秋楽”と呼んでいる。
誰もが知るペコっとした女の子がキャラクターの街の洋菓子店で家族分のケーキを購入するのもいつものことだ。

平日の昼前ということもあり奥様以外は不在だったが、リビングへと招き入れてくれた。“お構いなく”という私の言葉を他所に、奥様は温かい紅茶と持参したケーキを“いただきものをすみません”と私に差し出してくれた。

「この味・・・、懐かしいですね。」

奥様は子供の頃に誕生日やクリスマスなどで食べ親しんだという味を思い出すと、懐かしそうに当時を振り返って話しはじめた。

「両親と姉の4人家族なんですけど、団地住まいだったから姉とずっと一緒の部屋だったんです。自分だけの部屋がある一軒家の友だちが羨ましくて。そうそう、おっきな犬も飼いたかったんです。」

そんな強い憧れがあったからこそ、ご主人よりも熱心に物件の説明に耳を傾け、購入できないと知った時には家族の誰よりも落胆していた。私は小1時間ほど奥様の諦めきれない思いを受け止め、紅茶だけをいただいてご自宅をあとにした。



それから3年間、ご主人の事業は順調で融資を受けられるようになり、ありがたくも私からマイホームを購入していただいた。
奥様は子供の頃の夢だった自分の部屋を持つことをふたりのお子様たちに与えることで叶えられると、引き渡しの時に喜んでいた。

そして、もうひとつの夢だった大きな犬が家族に加わったことを知ったのは、引き渡し後のあいさつで新居に伺った時だった。

「やっと夢が叶いました!」

リビングへ通されると、奥様の声がキッチンから聞こえた。“どうぞ、お構いなく”という私の声を遮る奥様は、3年前を振り返るように言葉を続け、再現するかのように温かい紅茶とあの店のケーキを運んできた。

「やっぱり美味しいですね。」

3年前は口にできなかったケーキ。私自身も子供の頃から食べ親しんだ味を懐かしみながら、これからの夢を奥様は聞かせてくれた。


自己評価は“できない営業”


お客様が新居を購入するまでの3年間に、知人や友人を何度も紹介してくれた。そのことの感謝を伝えると奥様はこう話してくれた。

「信頼できる不動産屋さんや営業マンを探すって大変ですよ。それに、買えなかった自分たちの話をちゃんと聞いてくれたじゃないですか。だから知り合いに紹介できたんです。」

私は“できる営業ではない”と自己評価を下げ、足元を見ながらコツコツやってきた。それが間違っていなかったとお客様に評価されたようで、背筋がピンとなった。

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