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2018-07-05 14:25:42
2区画の土地に1棟の大きな家。
叶わなかったお客様の要望には、大切な人への思いが込められていた。
義理堅いお客様と信頼を勝ち得た営業のお話




新人の頃、2棟並ぶ物件を担当した。周囲は住宅が密集し、新築住宅のほとんどが3階建てだ。そんな環境の中に、ぽっかりと大きく空いた2区画の更地に、それぞれドンと大きく構える2階建て住宅の建築が予定されていた。

物件近くの自宅兼仕事場で事業を営む男性から電話が入った。

「えっ、ふたつ?お客様、2区画とも購入されるんですか?」

私が聞き間違えたのか、お客様が言葉を間違えたのかと思い問い返した。しかし、それは間違いではなく、今すぐ会って話をしたいというお客様の要望で、電話を切るとすぐに現地へ向かった。

やや遅れて現地にやってきたお客様は、基礎工事が済んだばかりの2区画を一見すると購入の意思を示した。

「ふたつでいくらになる?」

私が完成イメージや間取りを伝える前、会って間もないタイミングだった。しかし、お客様には即断する理由と2区画欲しい訳があり、詳しく伺うため近所のコーヒーショップへ向かった。


古い家屋を取り壊している時から目を付けていたというお客様は、私がお客様に説明すべき物件の魅力や特徴を見事にとらえていた。

「場所、土地、広さ、すべてがいい。このあたりでは出ないよね。」

そう評価したお客様は投資用の不動産をいくつか所有しており、その分析力と経験が即断できる理由だった。

この2区画を購入検討していることを奥さんに話したら、“もうやめて!”と言われてしまったと目尻が下がった。お客様は照れ臭そうにコーヒーへ手を伸ばすと、2区画欲しい訳を話しはじめた。

「投資じゃなく、お義母さんと住むため。」

ご自宅から2時間ほど離れた街にひとりで住むお義母さんは、足が不自由で生活に支障をきたしているという。そんなお義母さんのもとへ頻繁に行き来する奥様の苦労も相当なもので、お義母さんと一緒に生活するための大きな二世帯住宅を2区画分使って建てたいという思いが強くなり、看板に記した私の連絡先に電話してきたのだった。

残念ながら、すでに着工が始まっていたこともありそれは叶えられない要望だった。ならば2軒の間に通路を設けたいと執拗にこだわったが、建築許可が下りたものと違うものになってしまうため断念していただいた。
それほど、お義母さんへの気遣いと奥さんを苦労から解放してあげたいという思いが強かったのだろう。
すべての条件が揃った物件を逃すまいと、すぐに申し込みの手続きに入ったお客様からは家族へのとても深い愛情が感じられた。



契約を終えると、お客様からお義母さんを迎え入れるに相応しい家へ改築したいと相談があった。手すり、段差、滑りにくい床材など、いくつかの要望があった。その中にホームエレベーターの設置があった。

もっとも大掛かりになるホームエレベーターの設置は簡単ではなかったが、お客様の思いが伝わり売主様も設計士も快く引き受けてくれた。計算されて完成した設計に修正を加えることは容易ではない。それにもかかわらず、日常生活での利便性を考慮した場所に配置されたホームエレベーターは、最初から決まっていたかのようにインテリアに馴染み、付け加えられた違和感を微塵も感じさせなかった。最終確認でその出来栄えを“自分の思いがカタチになった”とお客様はとても喜んでいた。


引き渡しの日、奥様の横で杖をつくお義母さんに会った。
新居を前にしたお義母さんは、玄関前まで来ると歩みを止めた。一点を見つめてぼーっとするお義母さんを家の中へと促したのはご主人だった。

「すごいね。ありがたいね。もったいない。」

その言葉だけを繰り返すお義母さんには、ありがたさ、申し訳なさ、今までとこれからの生活など、いろんな思いが複雑に絡み合い誰も推し量れない感慨が巡っていたのだろう。

「お義母さん、これなら安心でしょ。」

ご主人はホームエレベーターに誘った。家の中にエレベーターがあることに驚いたお義母さんは、奥様とホームエレベーターに乗り込むと恐る恐るボタンに触れた。
すーっと静かにドアが閉まった次の瞬間、お義母さんの表情が驚きから笑顔へと変わり、見上げながら会話するふたりは2階へ昇っていった。私は玄関先から眺めたそのシーンが今も忘れられない。


信頼を勝ち得た良好な関係


新人営業の私が嬉しかったのは、お客様に喜んでいただけたことだけではなかった。

“内装に手を加えたい”
“ガレージをかっこよくしたい”
“友だちが物件を探している”

引き渡し後もお客様から寄せられる要望に、すぐに考え行動に移して答えを導き出した。
それは、営業として試され、評価されていることを実感させた。そしてまた要望が来る。
それは、お客様から信用され、信頼されている証だ。この義理堅いお客様との良好な関係は今も続いている。

2018-06-27 16:55:27
自信喪失気味の時に出会ったお客様。
多くを学び、「いいところを伸ばせば、いい営業になる。」と説教してくれたあたたかいお客様と営業のお話




ひとつの物件を販売するために私が自分の手と足でポスティングしたチラシは15,000を超えた。
日課となっていたポスティングは、接客や商談の合間を縫って500枚、何もない日は1000枚以上。その数はどんどん積み上がった。

ある日の午後、いつものように500とセットしたコピー機のスタートボタンを押した後、携帯電話が鳴った。見慣れない番号だ。

「チラシを見て、電話しているんですけど・・・。」

待ち焦がれたチラシを見たお客様からの電話は、私の声をいつもより張りのあるものにした。
簡単なヒアリングとご自宅の住所を伺い、その日の夜に資料をお届けする約束をして電話を切った。

しばらくして、ピーっと聞き覚えのある音でコピーしていたことを思い出した。この500枚、ポスティングせずに済んで欲しいと心から願った。


物件資料を携えてお客様の自宅に伺うと、奥様が出迎えてくれた。半開きの玄関のドアを背中で受けながら、物件の紹介をしていた時だった。

「なんだ、お前!」

帰宅されたご主人からの一喝。それがご主人との出会いだった。私を訝しい訪問販売員と思ったのだろう。
奥様からの問い合わせで訪問した不動産仲介であることを私が伝えると、ご主人は声を荒げたことを謝罪し、私を部屋の中へ招き入れようとした。初日からご自宅へ上がることに遠慮したが、“いいから入れ!”というご主人の意気に従った。

リビングに通されてからは、奥様も同席されたが会話はご主人が中心になった。物件の話はほどほどで、お互いの昔話や仕事の話など居酒屋で交わされるような会話ばかりだった。
1時間ほど話し込んだあと、“このマンションのローンがなんとかなればね”と話すご主人に、できる限りの力添えをする約束をしてご自宅をあとにした。

数日後、ご主人から電話が入った。挨拶を早々に済ませると、突如急転したご主人の声色が喫緊の内容であることを予見させた。

「この前の、マンションのローンのことなんだけどな・・・。」

ご主人は、農業を営む幼馴染みの連帯保証人だった。若くして先代から農地を引き継ぎ、地域に貢献する幼馴染みの元に、継ぎ手のいない近隣の農夫が農地を託したいと申し出てきた。悩んでいた幼馴染みにご主人は自ら名乗り出たという。心配をかけたくなかったご主人は、円満な家庭を維持するためにそのことを奥様へ告げず、今後もそれを貫くという。

もし、何も知らずに私が提案するローンで審査をすれば、不可となるのは目に見えている。問題は、その理由が奥様にわかってしまうことだ。だから、ご主人が厚意とする金融機関で住宅ローンを組むように提案してほしいという。是非もない電話の内容だった。


ある日、上司にも言われていた同じことをご主人に指摘された。

「いいものならもっと自信持って嫁に提案しろよ。」

同じ言葉でも立場の違う人に言われると響き方が違う。こんな感じの教えをいただきながら成約となった。ローンの件も打ち合せ通りに乗り越えた。

引き渡しの二週間前に行われた内覧会でのこと。外装の確認を終えて室内に入った時、ご主人は私の名前を大声で叫んで呼びつけた。

「これじゃ住めないだろ!どういうことだ。」

洗濯機を置く場所に引かれた剥き出しの蛇口を指差した。施工会社の営業が事情を説明してことなきを得たが、未完箇所がある状態で内覧になるとお客様へ事前に伝えていなかった私にも落ち度があった。

引き渡し後、ご主人は私と施工会社の営業を招いて、慰労会を開いてくださった。高級中華店の個室で催されたそれはただの食事会ではなく、私を最初に一喝した玄関先での出来事から引き渡しまでをワンシーンごとに振り返るエピローグだった。

「お前の悪いところは、自信がなさすぎる。もっと声をだせ。そして、お前のいいところは・・・。うーん・・・。」

しばらく考え込むフリをしたご主人はガハハと笑った。大声で一喝することも多いが、事情を飲み込むと、巧みなトークと満面の笑みで周囲を明るくする気遣いのできる優しいご主人をたくさん見てきたことに気付いた。きっと多くの人に慕われる男性であることは間違いない。


「人としてダメだろ!」


契約の時、施工会社の営業が粗相した。ご主人が差し出した手付金を何も言わずに数えはじめると、ご主人から一喝入った。

「お前、それは人としてダメだろ!」

間違いのないように確認するのは当たり前のことでしょ?とやや呆気にとられた表情を浮かべる営業に、ジュース1本、タバコ1箱でも、“ありがとうございます“というコンビニのサービスを例に出して、お金を頂くのだから“ありがとう”を伝えなさいと言った。

怒ってくれる、叱ってくれる、あたたかいお客様に出会えたことを感謝している。

2018-06-20 17:57:26
大きなものを背負うことに悩むシングルマザー。
メモに書かれたメッセージで一歩前に踏み出せたお客様と働く母に共感した営業のお話。




「妹のためにマンション探しをお願いできますでしょうか。」

20歳と18歳の息子さんを育てるシングルマザーの妹さんを心配するお姉さんからの電話だった。
妹さんはマイホームなど縁のないことと考えているらしいが、いつか独立していく息子さんたちを考えれば、賃貸ではなく老後の心配を少しでも減らせるマイホームに住んで欲しいとお姉さんは願っていた。

私も働く女性として、同世代の女性が働きながら子供を育てる大変さをわかっている。でも、旦那がいる私には知りえない苦労もきっとたくさんある。

「力になりますから、ぜひ一度、妹さんとお越しください。」

来店を促して電話を切ると、私は妹さん家族が負担にならず幸せに暮らせる間取りの物件を探した。


数日後、姉妹が来店された。年相応の落ち着いた雰囲気の装いで現れたおふたりは、仲の良い友人のようにも見える。ふたりの息子さんも誘ったけれど、どちらも思春期なりに忙しいらしい。

お姉さんに連れられてきた妹さんは、俯き気味であまり口を開かなかった。
お姉さんがリードして話を進めていくと、私と妹さんが同い年であることがわかった。そのあたりから徐々に打ち解けはじめた妹さんは、ようやく自らの言葉で話すようになった。

パートタイム従業員であること。息子たちにひと部屋ずつ与えたいので3LDKの間取りが欲しいこと。月々支払うローンの心配。若くしてご両親をなくしたこと。お姉さんが親代わりで息子たちも信頼していること。

少し話が逸れはじめた妹さんの横で、“そんなこと話さなくてもいいでしょ”とやや照れくさそうなお姉さんが印象的だった。

その日、マンションを6軒見学して、ふたりは2軒に絞り込んだ。パートタイムでも組める住宅ローンも見つけた。そして、ふたりの息子さんと見学して、どちらにするか決める日がやってきた。

ふたりの息子さんは移動中も見学中も興味を表に出さず、“ああ”や“うん”と力のない相槌を打つだけだった。それが思春期真っ只中の20歳と18歳の男子なのだろう。私の息子にも似たところがあり、あまり気に止めなかった。

母である妹さんは、他人には見えない息子さんたちの意思表示を読み取り、ひとつに決めた。そして、その決定を一番喜んだのはお姉さんだった。

選んだマンションは3LDKで、息子さんたちにそれぞれ部屋を与えることができる。さらに、妹さんはリビング隣りの和室を喜んでいた。

「だって布団を並べて3人で寝ることもできるでしょ?」

息子さんたちに部屋を与えられる喜びと寝息さえ届かなくなる寂しさ。母の葛藤を打ち消すものが川の字になれる和室であると、マイホームへの思いを前向きに表現した。

ただ、“母がローンを抱えれば、息子たちを心配させてしまう。だから少し結論を待って欲しい。”と息子さんたちを気にかけ、妹さんはその日の結論を見送った。


3日後、妹さんから着信があり電話に出ると妹さんは嗚咽していた。テーブルに小さなメモが置かれていたと声を詰まらせながら伝えてきた。

「息子が・・・、長男が『僕がこの家を買うよ。』って・・・。」

シングルマザーとなった母へ負担をかけまいと、幼少の頃から長男は弟の面倒をみながら、自らの欲求を口にしたり意思を示したりすることなく10数年が過ぎていった。

そんな長男がひとりで大きなものを背負おうとする母に、いっしょに背負う覚悟と家が欲しいとはじめて意思を示した。その成長と変化が嬉しくて、感極まっていたのだった。

“迷いと不安を打ち消した長男からのメッセージ”

それが母の決断を後押しした。


思春期の息子さんたちも少しずつ変化が現れた。長男はお母さんと並んで説明を聞くようになった。
人見知りがちだった18歳の次男も自分の部屋を持つ喜びから、ポスター貼ってもいいの?時計は?画鋲でも?と私に質問してくるようになった。

引越しが落ち着いた頃、訪ねた新居のリビングに飾られた一枚の似顔絵が目に留まった。

「昔、描いてもらったんです。そうしたらメッセージも入れてくれたんです。」

あどけない表情の兄弟の傍には、3人の絆を物語るメッセージがこう記されていた。

“いつもそばにいるよ”



切手のない封書


ある日、私の名前だけが書かれた封書が届き、裏面には小さくお姉さんの名前があった。
わざわざ届けられた手紙には、感謝の言葉がつらつらと綴られていた。

“あの時、私の話をすべて聞いて、妹をお店に連れて行くことを勧めてくれなければ、妹たち家族も私も変わらず不安を抱えたまま生活を送っていたでしょう。(中略)親身になってくださったことが、本当にうれしかったです。”

同じ女性として共感し過ぎかなと反省したこともあったが、その手紙で救われた気がした。

2018-06-13 11:02:28
車、ファッション、パチンコ・・・。
趣味に興じてきた4畳半で生活する45歳男性が、家を買う検討をはじめる。
大きすぎる人生の転機に迷う男性とそれを後押しする営業の話。




メールで中古物件の問い合わせがあり、本人確認の電話を入れると、すぐにでも見たいといった45歳の男性。しかし、その姿を見た瞬間、私の中の期待は不安へと大きく傾いた。

ドレスアップされたローダウンのミニバンで待ち合わせ場所にやってきた茶髪の男性。刺繍入りのジーンズに大きめの黒い本革のジャケット。鋭く光り輝く高級腕時計とネックレス。脇に抱えるのはブランド物のセカンドバッグ。それぞれの主張が強いものばかりで、サラリーマンにはいないタイプだ。

物件を見学しながら男性の質問に答える以外は、趣味や家族など日常の会話を織り交ぜた。

「昔は、フルチューンのGT−Rに乗っていたんだ。」
「昔は、結構モテていたんだ。」

意気揚々と自慢気に昔話を続ける男性は独身であり、家を買う理由がチラリとも話に出てこない。現在が見えない男性に、私の不安はますます大きくなった。

「現在は、どちらにお住まいですか?どんなお仕事をされているんですか?」

帰り際、単刀直入に男性へ尋ねると、意気消沈したか少し表情が曇り現状を話しはじめた。

職場である工場の片隅にある4畳半の空き部屋に住み込み、給料のほとんどを趣味の車や一点豪華なファッションへと費やしていたという。結婚を意識する女性がいて、現状から抜け出したいと思いはじめたことが家探しのきっかけだった。


見学した当日は検討することを理由に買い付け申込みまでたどり着けなかったが、その後も男性の購入意欲は変わらなかった。

家を所有することを“男のプライド”という男性は人生を変えたいと本音で語り、その力になりたいと思った私は、徐々に近い関係になった。
腹を割った男性は、住宅ローンを組むために貯蓄・給料・借金だけでなく、遊興費に至るまであらゆることを私に打ち明けた。

「遊興費を減らしましょう。飲みに行く回数、パチンコやファッションに費やすのも控えてください。」

他のお客様ならば踏み込まない毎月のローン返済の捻出方法でさえ、男性は真摯に耳を傾けた。時にはお説教に近い口調になることもあったが、男性は私から離れていくことはなく、むしろ男性からの電話は増えた。

「あそこまで言ってくれて嬉しかったよ。」

見学から二週間後、買い付け申し込みで来店した時の男性の言葉だった。


物件の買い付け申し込みから数日後、男性から電話が入った。

「やっぱり無理だ。」

その理由は、“独身で家を買う必要があるのか?”という友人のノイズだった。

「“男のプライド”を捨てて、4畳半の生活を続けた未来は明るいですか?」

そう問うと男性は無言になり、車の行き交う音が微かに聞こえてきた。男性に居場所を尋ねると、ようやく重い口を開き、私も知っている交差点の手前にいることを伝えてきた。

「次の交差点で右折して家に帰れば、今までと変わらない4畳半の人生が待っています。そのまま進み店までくれば、新しい人生が待っています。どちらに進むか自分で決めてください。」

男性に決断を迫り、私は電話を切った。ただ、私には男性がどちらを選ぶかわかっていた。


30分ほどで男性は店にやってきた。その距離と時間は、そのまま進みアクセルを踏み続けた証だ。

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。」

決断が再び揺れ、不安が大きくならぬよう、私はすぐさま男性の前に契約書を差し出した。それを両手に取りじっと見つめ続ける男性を、私は息を潜めて見守った。

沈黙は時間の経過を短くも長くもする。自問自答する男性には短いものだっただろう。待つ身の私にはとても長く感じられた沈黙は、男性の呟くような声で終わりを告げた。

「たまに食事に行ってくれますか?」

それが家を買う条件だった。私が断るはずもないことを条件にしたのは、前へ進むきっかけを望んでいたのだろう。

「前に進みましょう。」

私からの合図で、男性は契約書の第1項に目を落とした。それは、男性が新しい人生に向けてグンと深くアクセルを踏み込んだ瞬間だった。



ひとりで決断を下すことのむずかしさ


不動産を購入するお客様の多くは、ご夫婦や家族で話し合ったり、ご両親や親類に相談したり、一歩前へ踏み出すため誰かに背中を押してもらっている。
ところが、この男性はひとりで生きてきた事情もあり、誰にも相談できず、背中を押してくれる人物がいなかった。
あらためて決断を下すことの難しさを感じさせられた。

その後、男性とは数回食事に行った。その際、パチンコや飲みに行く回数が減ったと言っていた。
どうやらそれは本当のようで嬉しいことではあるが、私は少し困っている。なぜなら、無料ゲームアプリの招待が届くたびにスマホが発する通知音が煩わしいからだ。

2018-05-25 11:48:00
気難しそうにジリジリと商談するお客様。
過去を明かそうとしないお客様。絵に描いたようなアットホームなお客様。
同じタイミングで3組を接客したからこそ学ぶことがあった営業の話




不動産仲介の仕事には、もう10年以上携わっていて、たくさんのお客様に出会ってきた。
その中で最も記憶に残っているのが、ほぼ同時期に3組のお客様から物件を購入していただいたことだ。

決して同時に3組の成約という輝かしい結果を誇りたいのではなく、探し求める物件と不動産仲介の営業への要求が三者三様で、それぞれ突出した何かを感じたからだ。


事務機器や光学機器を製造する一流企業に勤める50代の営業マンのご主人。最初に会った時の印象は、一流企業に勤めるオーラや貫禄を感じさせた。

“社会的信用もあり、住宅ローンもおそらく問題ない。きっとすぐにご契約いただけるはず。”

そう思ったのは、駅から徒歩5分の希望物件を見つけたところまでだった。
父の威厳を見せつけたかったのだろうか。あるいは、仕事とはこういう風に進めるんだともうすぐ社会人になる年頃のお子様たちや若い営業マンの私に言いたかったのだろうか。
ご主人は沈着冷静かつ理詰めで私との商談に臨んできた。それは、15分で終わる話が2時間になったり、1時間と掛からない引き渡し前のチェックに8時間を要したりすることもあった。

しびれを切らしそうになったことを今もはっきり覚えている。私は、この商談で“耐え忍ぶ”という営業の経験値を得た。


2組目は、立地優先で外壁や内装などのデザインやカラーを変更できる半注文住宅を契約していただいたお客様。
駅から近く滅多に出ないプレミア物件だったが、最高とは言えない日当たりと十分とは言えない広さが要因となり、問い合わせも少なく、売り出し当初の価格から値引きされていた。そんな日の目を浴びなかった物件にお客様から問い合わせが入った。

「全く気にならない。十分だよ。」

その物件を見学したお客様は、室内の広さや間取り、日当たり具合を確認するとそう言った。その言葉を耳にした時、私は“ようやく買い手が見つかった”と意気込んだことをはっきりと覚えている。

ところが1組目と同じように、契約を前にして躓いた。事前に確認したアンケートでは、借り入れはないという回答を得ていた。
しかし、契約直前に他にも借り入れがあることをお客様は明かした。このお客様の場合は、たまたま他の金融機関へ申請すると住宅ローンを組むことができたのだが、事実を突き付けられたお客様は、きっと素直に打ち明けておけばと後悔したかもしれない。
また、過去を包み隠さずに話せる信頼関係を作れなかった私にも原因があったのかもしれない。


3組目は、現地販売会に小さな女の子の手を引いてご夫婦がやってきた。ただ、予算の都合で他の物件を紹介せざるをえなかった。いくつかの物件の中からお客様が選んだ物件は、他のお客様ならば選ばないであろう“決め手の少ない物件”だった。
私道から少し入った場所に位置するすでに完成された建売物件は、建築面積いっぱいに建てられ、コンパクトカーすら楽に駐車できるスペースがなかった。

「うちにはこれで十分です。」

見学しながら満足そうに語ったご主人と、その横でご主人の方を見つめながらコクリとうなずく奥様に、私は幸せそうな円満家庭を垣間見た。

お客様は、新居への憧れや夢だけでなく、ライフデザインをしっかりと描いていた。
数年先には小学校へ通う女の子のことを考えて同じ学区内で物件を探し、35年の長期固定金利住宅ローンを20年で返済するよう“自分に合ったローン”をきちんと計画されていた。それは華やかさや目先の好条件を追い求めるのではなく、しっかりと地に足のついた将来の安定や安心を見据えていた。

そんなお客様に最善を尽くしたいと思っていたある日、私は売主へ価格交渉を行った。それはお客様の求めに応じたものではなく、気付いたらしていた自発的なものだった。販売手数料にも関わるものだが、その時だけはなぜかお客様のために動いていた。

“こんなアットホームな家族に住んでもらいたい・・・”

心からそう思えたのは、その時がはじめてだった。



3組のお客様からいろんなことを学んだ



ほぼ同じ時期に、いろんなお客様と出会えたことが、それぞれの印象をより深くさせたのかもしれない。
人の数だけ多様性に富んでいるのは当然で、それぞれに向き合うことができたのは貴重な経験だった。

「また来てね!」

引き渡し後のあいさつで訪ねた帰り際、ほっこりする言葉をかけてきた3組目の小さな女の子。新しい赤のランドセルを自分の部屋からうれしそうに持ってきた姿が今も忘れられない。

2018-05-10 16:16:30
誰もが夢を描くリタイア後の人生。
ご夫婦の夢は叶わなかったが、その夢に登場する予定だった人たちと新たな夢を築く。
義理や縁故をとても大切にするご婦人と営業の話




もう20年来のお付き合いになるご婦人がいる。お客様としてマンションをご購入いただいたことが出会いのきっかけだったが、自宅に私を招き入れてくれたり、何度も食事をともにしたりと、まるで友人や知人のような関係で私に接してくださった。波長が合うとでも言うのだろうか。はじめは、お客様と営業の立場を越えた近すぎる関係に戸惑いも覚えたが、年齢や社会的立場を越えた居心地の良さとそれを作り出す人としての魅力に惹かれていった。

数年前には、南房総の土地を探すお手伝いをしたことがあった。そこに平屋を建て、畑仕事をしながら休暇を過ごしたいというご夫婦の夢があり、ご主人の知人が経営する工務店に設計から建築までを発注することも聞いていた。

「あの時は、ご足労かけたのに。ごめんなさいね。」

ご婦人は今でも会うたびに申し訳なさそうに当時の話を切り出すが、最初にその言葉を聞いたのは、先立たれたご主人の法事が落ち着いた今から2年ほど前だった。それでもご婦人は変わらず気丈で、常に明るく私に接してくださった。

「少し都心寄りの場所で、家を探そうと思っているの。また、お願いできます?」

ご婦人の希望は、“今よりも少しでも職場に近くなること”だった。



ご婦人はすでに年金を受給できる年齢だったが、元気なうちは働き続けたいと、マンションから同じ会社へ通っていた。以前はご主人の運転で同じ職場に通勤していたが、ひとり満員電車に揺られることが辛くなってきたという。

そんなご婦人のためにいくつか物件を探して資料をお届けに行った時、ご自宅の様子が変わっていることに気がついた。聞けば、少しでも次に住む人が暮らしやすいように、20年住み慣れたマンションのご自宅を改装しているという。その次に訪れた時には、防犯対策まで施されていた。次に住む人のことを考えていたのはもちろんだろうが、きっとご婦人なりの住み慣れたご自宅への愛着と感謝をカタチで残したかったのではないかと思った。

ある日、ご婦人自ら見つけ出したという物件をいっしょに見学へ行くことになった。そこは職場から徒歩圏内の“谷根千”と呼ばれるエリアにあり、木造の家屋が残されていた。趣きのある佇まいではあったが、建て付けやすきま風、防犯面を考慮すれば、ご婦人がその家屋で生活するにはいささか疑問がつくものであった。

「この土地に、新しい家を建てようと思っているの。ほら、南房総で物件を探していた時にお話した工務店さん。」

自らの足で探し出した物件を、私の仲介で購入し、ご主人がお世話になった知人に建築をお願いするご婦人の義理堅さ。その思いに私は胸を強く打たれた。



新居の建築も終わり、ご婦人が引っ越してからすぐに、一任されていた自宅だったマンションの売却先も決まった。報告するために電話を入れると、遊びにいらっしゃいと新居に招かれた。

古い木造家屋が建っていた場所には、ルーフバルコニー付きの3階建て新居が建てられていた。

「ひとりでお住まいになるには、3階建は立派すぎてご不便ではありませんか?」

玄関先で第一印象を伝えると、ご婦人は口元を押さえながら笑みを浮かべた。まあまあとご婦人に促され入室すると、段差の低い玄関とホームエレベーターが目に入った。
それだけでなく、水周りやリビングなど随所にわたり将来の生活を補う施しがされているという。

家具や高級カーテンといった調度品からも品の良さを感じる室内には、新居ならではのヒバやヒノキの香りが漂っていた。

「遠慮せずに、タバコ吸いなさい。あなた、吸っていたでしょ?」

さすがにお客様の新居で喫煙することはしなかったが、ご婦人の気遣いはとても嬉しかった。



「今の趣味は、これなの。」

そう言って見せてくれたのは、20畳ほどあるルーフバルコニーの菜園だった。ひとつひとつ手をかけ、愛情をかけて育てていることを楽しそうに話すご婦人からは、満ち満ちた生活をおくっていることが容易に想像できた。

誰もが描くリタイア後の人生。ご婦人は、そのいくつかを実現してきたのだろう。そして、これからも満ち満ちとした日々を過ごしてほしいと私は思った。



ご婦人の気遣い



ご婦人をお客様としてもてなした外食でのお会計の時だった。

「わたしに、恥をかかせるおつもりですか!」

二度、三度と押し問答したが、私が折れざるをえなかった。その一瞬の出来事が私はとても楽しい。きっとご婦人も同じことを思っているかもしれない。

義理や縁故をとても大切にするご婦人。さりげない気遣いや気品もあふれている。ご婦人と過ごす時間を、私はいつも楽しみにしている。

2018-05-03 12:03:23
何をやっても上手くいかない営業マンが上司から指示されたのは、先輩から存在を聞いていた研修部屋に行くこと。
厳しい叱責や研修を覚悟して向かったそこで貴重な経験を得た営業マンの話




不動産仲介の営業をはじめて、もう10年近くなる。その間には、何をやってもうまくいかず結果が伴わない時期があった。周りの同僚や後輩がどんどん結果を出していくと、ひとり取り残されていく感じがして焦りも出はじめた。

結果を出し続ける周囲の視線。一度それが気になりだすと、どんどん卑屈な考え方になり、営業の基本である“足で稼ぐ”ことすら、正しいのか疑問に思えていた。朝起きて仕事へ行き、何をすべきか考える毎日が辛くなっていた。そんな時、私を見かねた上司から声がかかった。

「明日から本社の研修部屋に行きなさい。」

先輩から研修部屋の存在を聞いていたが、自分には縁のない場所だと思っていたし、その時はその存在さえ忘れていた。



研修部屋とは呼ばれていたが、そのような壁に囲まれた空間は存在していない。本社の社員を見守る役員席の並びに、研修員用のデスクとイスと電話があるだけだ。その役員の存在感とその席に座らなくてはならない営業マンの負のオーラは、三歩先にある本社社員たち空間とは明らかに違っていた。見えない壁に囲まれ、容易に踏み込めない空間だったことから、社員の間ではそこを“研修部屋”と呼んでいた。

私が研修部屋行きを告げられるまでに、すでに5〜6人の先輩が同じ経験をしていた。共通しているのは、実績をあげることができず“何かを見失った営業マン”ばかりだった。しかし、研修部屋へ行った先輩たちは、その後にひとりも退社することなく、それどころか同僚や後輩を引っ張る存在になっていた。とはいえ、いざ研修部屋行きを告げられると、常に役員の目にさらされ、きっと厳しい叱責や研修が待ち構えている“しごき部屋”なのだろうとイメージした。



「よろしくお願いいたします。」

役員に挨拶を終えると、厳しい研修がはじまると思っていたがそうではなかった。

「おっ!よろしく。」

一言返した役員は、そのまま日常業務を開始した。それだけだった。その後、何名かの上役に声をかけられたが、“しごき”どころか“研修”さえも行われることはなかった。研修部屋の初日は、終始無言でなんとも居心地の悪く、1日がとても長く感じられた。

次の日も、その次の日も研修は行われなかった。目の前にいる本社の社員は、仕事に励んでいる。そんな中でひとり何もせず、じっとしているのがとても苦痛に感じられ、過去のお客様に片っ端から電話をした。外に出たくて、ポスティングにも精を出した。それで結果が伴うとは思わなかったが、とにかくじっとしていることから解放されたかった。

その日の夜、営業No.2の本部長がやってきて、私に3つの物件を担当するよう与えてくれた。任せてくれたことがとにかく嬉しかった。感謝の気持ちと意欲を伝えようと立ち上がろうとした時だった。

「頑張らなくていいから。結果を出そうな。」

私の肩をポンっと叩くとその言葉だけを残して、本部長は研修部屋から離れていった。

私はすぐ行動に移し、ネット掲載の準備や資料の作成、夜中の3時まで現地販売の準備に励んだ。すると、その週末にはお客様から反響が得られ、その翌週にはご成約いただくことができた。



研修部屋に来てから二週間。お客様と向き合うこと、大事なことをきちんと伝えること、本当に当たり前だが営業の基本を取り戻すことができた。

自分で気付き、自分で考えて行動するという取り組む姿勢を見つめ直す場所が研修部屋だった。そして、気付くまでじっと見守ってくれたのは役員であり、そのタイミングを見計らって売りやすいいい物件を持ってきてくれたのが本部長だった。

今はもうなくなってしまった研修部屋。たった二週間のことだったが、とても大きな経験となり、今でもその当時の気持ちを忘れずに営業活動に励んでいる。


「会社は見捨てないよ。」


結果が出ていなかった時に感じた周囲の視線は、“営業のくせに何やってんだ。”という蔑視ではなく、見守られていたんだと気付くこともできた。

「会社は見捨てないよ。」

研修部屋で役員や本部長に言われた言葉が、今も忘れられない。

2018-04-19 12:28:15
現場監督からの電話で物件に向かうと、
そこには家を買えるとは思えないお爺さんが待っていた。
見た目で判断しかけたお爺さんの思いに胸を打たれた営業の話。




「毎日来て、『この家、売ってるのか?売ってくれ。』って声かけてくるお爺さんがいるんだけど、今から、会ってくれないか?」

営業的にラッキーな電話は、物件の現場監督からだった。私は、すぐ現場に向かった。ところが現場に到着しても、それらしき人物は見当たらない。そこで、現場監督に尋ねると、現場監督は視線を道路の向かいに向けた。そこにはポツンと座り込む70過ぎであろうお爺さんと一匹の小型犬が目に入り、私は絶句した。とても家を買いたいと願う人の身なりではなかった。他人を見た目で判断してはいけない。しかし、家が買えるだけの財力や社会的立場があるとは思えなかった。

お爺さんは何やら声を発している。10メートルと離れていない距離でも聞き取れない。

「あんた、不動産屋さんか。あの家を売ってくれ。」

声が聞き取れる距離に近づくと、鼻を突く刺激に顔を背けたくなった。

「ありがとうございます。私が担当させていただきます。詳しいお話をしたいのですが、ご自宅は近所ですか?」

その刺激を表情に出さず問い返したがお爺さんの反応は鈍く、2〜3度繰り返すとようやく私の言葉を理解した。ふらつきながら腰を上げ、自宅の方を指差し“行くか”と言うと、どこか悪そうなぎこちない姿で歩を進めた。



向かった場所は、物件から道路を挟んだ向かい側の4階建ての集合住宅が立ち並ぶ公営団地。その中にお爺さんの自宅があった。玄関のドアを開けると、やや慣れかけた刺激が再び襲ってきた。玄関からうかがい知る自宅の様子は、典型的な高齢男性の独居。薄暗く、独特な空気感、愛犬のためにびっしりと新聞紙が床に敷き詰められていた。

お爺さんは家の中に私を招き入れようとしたが、他のお客様と同じように“最初は玄関先で。”と丁寧にお断りをした。しばらくその場で雑談をすると、奥様は数年前に先立たれ、奥様が可愛がっていた愛犬と年金で生活していることがわかった。

“独り身の年金受給者。公営住宅で十分生活できる。あの家で一人暮らしは大きすぎる。”

疑問に思った私は、どうして家が欲しいのかと尋ねた。

「ロクデナシ息子のため。金じゃなく、家を遺したい。」

金銭的に困ったときだけ顔を出すという息子さんに、“家を買ったから一銭もない。”と言いたいのだろう。そんな息子さんにさえ、最後は何かを遺してやりたいという親心だった。

(この人のために一生懸命、力になろう。)

そう思えた瞬間、実家でいっしょに暮した祖父母を思い出した。祖父と畑で野菜を栽培した記憶と、祖母の手料理で育った私は“爺ちゃん子、婆ちゃん子”だった。

そんな幼少期の自分を思い出させたお爺さんに、“幸せになって欲しい”という気持ちと、同時に“買わせていいのか?”という不安な気持ちもあった。でも、私はお爺さんの望む方を選び、それを叶える唯一の方法を伝えた。

「お気持ち、よくわかりました。自己資金はありますか?」

理解するまでに2〜3度その言葉を繰り返すと、おもむろに立ち上がり預金通帳を持ってくると私に手渡した。

(イチ・ジュウ・ヒャク・セン・マン・・・)

物件を購入するには十分の金額が記されていた。ただし、最後に記帳された日付は2年前で、息子さんとのこともある。

「今も、これなら、家、買えます。今から、銀行、行って、記帳、しましょう。」

一言一句、丁寧に話しかけると、お爺さんの表情がふわりと明るくなった。私はお爺さんを銀行へ行く装いに整えさせて、車で銀行へ向かった。窓口前の席で待っている私のところに、記帳を終えたお爺さんがやってきた。手渡された通帳は、2年前を上回っていた。

「大丈夫だな?買えるよな?」

何度も聞いてくるお爺さんは、きっと何度も嬉しさを噛み締めたかったのだろう。



その後、引き渡しまでの3ヶ月間、お爺さんは私に身内のように接した。家族の昔話や近所付き合いといった世間話に付き合うだけでなく、公営住宅の解約や役所の移動手続きにも私を引っ張り出した。その頃には、私はお爺さんの言葉を聞き取れるようになり、お爺さんは私の言葉を一度で理解出来るようになっていた。

幸せを噛み締めるお爺さんにお力添えできたことが何よりも嬉しかった。



息子さんとのその後の関係


引き渡しの後、あいさつでお爺さんの新居を訪ねた。来訪者に興奮したお爺さんの愛犬は、玄関先で私の匂いを嗅いで判断したのだろう。少し落ち着くと、時折こちらを振り返りながらリビングへ誘った。

以前のお住まいから持ってきたものは、いくつかの家具と仏具だけと言う通り、新居の中はがらんとしていた。

「息子が運んでくれたんだよ。」

嬉しそうに語ったお爺さんの目が少し潤んでいるように見えた。きっといい関係に向かっているのだろう。

2018-04-13 17:11:13
新居への憧れが家族の誰よりも強かった奥様。
その気持ちがカタチとなって贈られた。
微笑ましい姿にあたたかい家族の絆を感じた営業のお話。




女性からの電話で物件探しをはじめたのは5年前の秋。希望条件からいくつか物件を提案すると女性は1軒を選び出し、数日後の物件見学にご主人と社会人の長男と専門学生の娘さんを連れ立ってきた。

もうひとり大学生の次男がいること、もう20年近く3DKの二階建て借家に暮らし続けていること、年収や借り入れ状況など契約に向けた話も進んだ。
ところが、あまり良くない日当たりと物件前の私道が狭く車の入出庫が難しいことを理由に商談は立ち消えた。
奥様や娘さんは友だちを招くことまで想像したほど本気度は高かっただけに、非常に残念そうだった。

それから1ヶ月後の平日午前、再び奥様から電話が入った。

「ハウスプラザさんの看板があるけど扱えますか?」

10棟建ての更地の物件は私の担当物件ではなかったが、その電話を切るとすぐに担当営業の了承を得て、物件資料を持って昼前にご自宅へ伺った。

「日当たりはどうでした?物件前の道は広かったですか?」

そんなことは物件資料で一目瞭然だが前回の二の舞を恐れた私は、すでに物件を確認していた奥様へ本気度を確認するために質問した。

「もちろん!大丈夫でしたよ。」

明るくハリのある奥様の声を聞いて私は安心した。

その週末、物件とモデルハウスの見学を行ったが、そこには前回と同じ次男以外の顔が揃った。“誘ったんですけど、学生なりに忙しいようで。”と一瞬だけ奥様の表情は曇ったが、その時以外は4人とも終始ご機嫌だった。

モデルハウスを見学している時の奥様は、まるで欲しいおもちゃを前にした子供のように瞳をキラキラと輝かせた。
そんな奥様に引き寄せられた娘さんもおもちゃ選びに加わり、ご主人と長男はふたりを眺め自然と頬が緩んだ。そんな、あたたかい家族の光景に私は胸を打たれた。


ご家族は物件をとても気に入り成約いただいたが、引き渡しまでの半年間で奥様の物件への思い入れはますます強くなっていった。

間取りや内装をお客様がセレクトできる物件だったこともあり、奥様は工務店との打ち合せを毎回楽しみにしていた。外壁から内装、ドアノブにいたるまで、そのほとんどを奥様ひとりで決めたという。

「自分の部屋は好きにさせてもらいましたけど。あとは全部お母さん。」

笑いながら教えてくれたのは娘さんだった。新居のことで毎日楽しそうなお母さんの姿が羨ましく、その姿を家族みんなが微笑ましく思い自然と会話が増えたことを着工前に教えてくれた。



奥様の新居への並々ならぬ思いがカタチになって現れたのは、引き渡しから二週間後の新居へあいさつに伺った時だった。
すでに娘さんは友だちを招いたこと、ご主人や長男は仕事から早く帰ってくるようになったと楽しそうに奥様は話した。そして居合わせた次男も自分だけの部屋をとても喜んでいた。

「趣味のものばかりですみません。ホント恥ずかしいんですけど・・・。」

帰り際、奥様から感謝の言葉とともにプレゼントをいただいた。リビングや各部屋の扉に飾られたものと同じ奥様手作りのリーフをモチーフにしたオブジェと一番の趣味という手作りの焼き菓子、そして1枚のDVDだった。

翌日、カバンの中に入ったままのDVDを思い出し、取り出すとそれをパソコンへ挿入した。コーヒーで湿らせた口に手作りの焼き菓子を運んだころ、かすかなBGMと映像が流れはじめた。

「ここが、新しい我が家です。」

奥様のナレーションと半年前の更地が映った。基礎工事や柱が立っていく様子、外壁の完成や引き渡し前の見学まで、我が家の成長記録が収められたDVDだった。
近所に住んでいた奥様は毎日のように通ったのだろう。雨の日や大雪が降った日の映像も含まれていた。

引き渡しのシーンが流れた後、BGMが聞き覚えのあるクラシックに切り替わった。映し出されたやや粗い映像は、借家の狭い部屋で幼い3兄弟が川の字で寝ている日常の写真だった。
すべて借家で撮られた3人の成長する様子が続き、引っ越し当日に撮った玄関前の家族写真が借家との別れのシーンとなった。

最後は新居の玄関前で同じ並びの家族写真。そして、引っ越しを祝ってバルコニーで楽しそうにビールを飲む家族の映像で締められた。

“子供が成長した借家と新居の成長”

奥様の思いが収められたDVDからあたたかい家族の絆を感じ、私は目元が潤んでいくのを必死に堪えた。


祝いや別れの席で耳にする曲


私は上司や同僚にもDVDを見てもらった。数年経った今でもたまに“あれ見ようか”と誰かが声をかけてくる。その誰かが教えてくれた。

曲のタイトルは、“パッヘルベルの「カノン」”

披露宴・卒業式・最期のお別れの席でよく耳にするこの曲。その度にDVDの映像が脳裏に浮かぶようになった。

2018-04-06 12:42:42
営業成績が芳しくない。
営業なら誰もが経験する壁に直面した時、
周囲がやっていないことを徹底して行うことに専念した営業の話




私が仲介を担当する都内の城東は人気のエリアだ。現地販売会を行えば、地元の江戸川住民だけでなく都内各地や他県から見学に来るお客様も少なくない。人気エリアであるがゆえ、不動産についての情報を調べているお客様も多い。

「このあたり、ちょっと高いよね。」

確かにその通りで、ここ数年の地価は右肩上がりの傾向にある。でもそれは断片的な情報であり、高い安いは個人の価値によっても変わる。
そんなお客様には周辺物件の一覧を見せ、相場や建物の大きさ、周辺環境や駅からの距離などを説明している。
お客様の希望条件すべてに沿う物件を提案するならば、市川や浦安といった川を越えた千葉県になってしまうと伝えると、諦めた様子でとぼとぼと帰っていくお客様を何組も見てきた。

“城東に一軒家を持つ”というお客様の期待に応えられないもどかしさは、私自身が実績を上げられないというスランプの一因になっている。



実績が上がらない状況では、ずっと底辺で横這いが続く仕事へのモチベーションも上がらない。会社へ行くのも嫌になる朝もたまにある。

「誰もが経験する壁だよ。」

そんな感じで上司や先輩方に優しく見守られていることさえ、正直つらくなってくる。“何を偉そうに”と思われる方が、気が楽になるのかもしれない。

でも同じ場所で働く上司・先輩・同僚、そして会社に迷惑を掛けたくない気持ちは強い。
そこで“実績を上げられない今の自分にできることはいったい何か”を考えて行動に移した。そのひとつがネットに掲載する物件の情報を作成することだった。

店舗にはどちらかというと事務仕事を苦手そうにしている営業一筋の先輩や同僚が多い。

「遅い・・・。まだ起ち上がんねぇ。」

パソコンを起動するほんの数分を煩わしいと言っている先輩の姿を見て“これだ!”と思った私は、その日から店舗が扱う物件のネット掲載を担当する役目を買って出た。
すべての項目を丁寧に埋め、より詳細になった物件情報は喜ばれた。それは先輩や同僚だけでなく、本社からの声も聞こえてきた。

直接耳にしたことはないが、お客様も事前にネットで物件情報を調べて問い合わせたり、現地販売に来場されたりする場合が多く、わかりやすく整理した情報を掲載するように気をつけている。“どこかで誰かのお役に立てているのではないかと思っている。



そして不動産仲介の営業として、お客様と同じくらい大切な存在が売主様だ。ハウスプラザがお客様に自信を持って仲介している物件のほとんどは、売主様から預かっている大切なものだ。

現地販売を売主様から任されれば、そこに売主様も足を運んでくる。ご成約という結果を出すことが売主様にとっての一番の報告であることは間違いない。
しかし、足を運ぶ売主様には、集客力も仲介業者の腕の見せ所であり、次も任せてみようと考える一因になる。そのために私は、丁寧な物件情報のネット掲載やポスティング、現地への誘導など一切手を抜かずに徹底した。

それまでの慣例を越えた徹底ぶりに、“そこまでやるか?”という周囲の声もあったが、それも少しずつ聞こえなくなり、今では後輩も追随するようになったのが少し嬉しかった。



つい先日担当した人気エリアにある現地販売の物件は、最寄り駅から徒歩で20分ほど離れた場所にあった。車で来場されるお客様もいたが多くは駅から徒歩で来場され、その中にはご年配の夫婦もいた。
思わず“ご苦労様です”と声を掛けたくなったが、それを躊躇させたのは“にこやかな表情”でご夫婦が現れたからだった。

「あっ、ここだ。ここだ。」

そう言って現地販売の物件にやってきたご年配の夫婦。おふたりにとっての“駅から徒歩20分”は、疲れただろうがおそらく苦労ではなかっただろう。

物件にたどり着いた時の何気ないつぶやきとおふたりの“にこやかな表情”が、私のやってきた集客への尽力が報われたように思え、横這いだったモチベーションを少しだけ上向かせてくれた気がした。


根底にある意地


私の周囲には、お客様、売主様、先輩や同僚がいる。私がどんなにスランプだとしても、それは変わらない。

“周囲の人々のために、今、自分ができることをやり続ける。”

それは根底にある意地みたいなもので、仕事を続ける原動力になっている。

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