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2018-03-29 12:25:20
現地販売にやってきた熟年夫婦。
娘さん夫婦の家探しからはじまった関係は、長男・次男の家探しまで。
10年以上に渡りお客様と信用を育んだ営業の話




10年以上前。ハウスプラザに入社して間もない頃。不動産のプロとはとても言えない私が上司の指示で現地販売を担当していると、そこに熟年のご夫婦がやってきた。

「こんにちは。」

そこからはじまった会話は何気ないもので、散歩途中の立ち話だろうと思い込み5分ほど話し込んでしまった。

「そろそろいい?」

旦那様の一言で、熟年のご夫婦はその建売物件を目当てにやってきたことに気付いた。

新人営業マンができる説明は拙さが随所に顔を出してしまうものだった。それでも熟年のご夫婦は、優しくすべてに耳を傾けてくれた。

「まだ小さい子供もいるしマンションよりこっちの方がいいな。」

旦那様のその言葉に、思わず“えっ!?”と声を漏らしてしまった。

「いやねぇ。私たちじゃないわよ。娘夫婦の家を探しているの。」

左手を口に当て、右手を私の肩にポンッと押し当てながら大笑いする奥様。その様子に、勘違いした自分が恥ずかしくなった。そんな私の様子に、旦那様も心を許してくれた。

転勤で地方にいる娘さん夫婦が半年後に東京に戻ってくること。15歳の女の子と10歳の男の子がいること。熟年夫婦は近所のご自宅で息子さんと自営業をしていることなどを聞かせてくれた。

数日後、休暇を利用して帰郷した娘さん家族を連れた熟年のご夫婦と物件で再会した。すでに物件の資料は熟年のご夫婦から娘さん家族に渡されており、最終確認のために物件見学したようなものだった。転勤前は近くの賃貸マンションで生活していたという娘さん夫婦。子供たちからも地元で生活できる喜びが伝わってきた。

「ふたりが希望した通りのいい家だろ?」

旦那様の言葉に娘さんをはじめご家族すべての頬が緩んだ。その後、娘さん夫婦には店舗までご足労いただき、契約まで話は進んだ。

ただ、資金計画や契約までのほとんどを上司に頼り切り、新人の私は何もできなかった。娘さん夫婦が上司の顔ばかりを見て話す様子が気にかかり、初契約を素直に喜べなかった。



娘さん夫婦の物件契約から5年が経過した頃、奥様から電話が入った。

「長男が結婚するので、家探しをお願いしたいの。」

エリア・間取り・価格などの細かい条件はなく、たった一言“娘さん夫婦の家と同じくらい”とだけ伝えてきた。電話を切ると私は長男夫婦が新婚生活をスタートさせるに相応しい物件探しに取り掛かり、その日の夜に物件資料を奥様のご自宅へお届けした。

「久しぶりねぇ。なんか頼もしくなったかな?」

それが外見的な変化を言ったものか営業としての成長を感じ取っていただけたのか、きっと両方の意味があったのだろう。

数日後、物件資料の中から長男夫婦によって選び出された物件を見学し、若いふたりはお気に入りの3階建て物件にめぐり合い契約を結ぶことができた。

「明るくていい家ね。お姉ちゃん、ねたんじゃうかも。」

物件を引き渡す時にそう語った奥様に、5年間の成長した姿をお見せできたことが嬉しかった。再びご依頼いただくというお客様の信頼に応えた結果、初契約の時から抱え続けた“重く引っ掛かるもの”を払拭できた。



それから3年後、奥様から携帯に着信が入った。

「今度は、次男なんだけど・・・。」

3度目のご依頼となるその電話で奥様は条件に触れなかった。“同じような物件ですよね?”と私から問うこともなく、同じように物件資料を整え、同じようにその日の夜にお届けした。

しかし、残念ながら次男夫婦の新居を契約に結びつけることはできなかった。次男夫婦が決断した物件は、自ら探し出した売主直売のものだった。

奥様は売主に私の仲介で購入することをお願いしてくれた。私も売主を訪れ、何度も頭を下げたが叶わなかった。私はその報告のため奥様のご自宅へ足を運んだ。

「承諾は得られませんでした。いい物件ですから売主さんと話を進めてください。」

そう伝えて帰ろうとした時だった。

「ごめんなさいね。」

今までに見たことのない奥様の表情。でも、それはほんの一瞬だけだった。

「次は孫娘かな。」

明るく笑いながら話す奥様は右手を私の肩にそっと触れた。その感触が初めて会った日の「いやねぇ。」と言った奥様の笑顔を映像のように目の前に浮かび上がらせ、あの初々しかった頃の自分を思い出させてくれた。


信用が一番なんだよ。


その後、知人が家を探しているとご連絡をいただいたことがあった。契約がまとまり、その報告のため熟年夫婦のご自宅に伺った時だった。

「うちも自営でしょ。やっぱり信用が一番なんだよ。」

ハウスプラザで営業を10年以上続けてきた今だから旦那様から私に向けられたその言葉に込められた意味の深さや重さも理解できる。

だからこそ、孫娘さんの物件探しを依頼されるその日を心待ちにしている。

2018-03-15 16:29:29
待機児童問題により希望の物件を諦めざるをえなかったお客様。
偶然見つけた物件を内覧した帰りに、虹と幸せそうな家族を見たという営業の話




4〜5歳くらいの女の子を連れたご夫婦が現地販売会にやってきた。ネットで物件を知ったというご夫婦は、都内から30分ほど離れたある私鉄駅から徒歩数分の賃貸マンションで暮らしているという。

「お子様を育てる環境としては素晴らしいところですよね。」

私からの問いかけにうんうんと頷きながらも都内の物件を探している理由は“東日本大震災があったこと”と話してくれた。

「あの時、夫婦共働きでふたりとも職場が都内だったので、すぐに保育所へ娘を迎えに行けなくて・・・。」

そう語ったご主人が保育所へたどり着いたのは、明け方だったという。小学校の先生をしているご主人は、ご両親が迎えに来られない子供たちを目の前にして心が痛んだという。

奥様の職場からは2駅ほど。何かあれば駆けつけられる距離で探し続け、見つけ出したのが現地販売の物件だった。



ご夫婦はその物件をとても気に入っていたが、契約に至るまでにはもうひとつだけ大きなハードルがあった。それは娘さんを預ける保育施設だった。

ご夫婦は付近にある国が定めた認定保育所、都の基準で設けられた認証保育所を中心に“保育”という名のつく施設を片っ端から当たった。不動産仲介で保育所を探す経験は後にも先にもなかったが私は協力を惜しまず、奥様と一緒に施設を巡ったりもした。

しかし、待機児童の問題は想像以上のもので、国や自治体のサービスが受けられる施設はすべて欠員待ちという状態だった。ようやく無認可保育所を見つけ出したが、お客様の望む条件を満たすものではなかった。

「本当に、保育所探しまでしてもらったのにすみません。」

その数日後、お客様は待機児童の問題で現地販売の物件を諦めると連絡してきた。



しばらくして、そのご夫婦の近所まで行く別の要件ができたので“何か状況が変わっているかもしれない”と思いアポイントを取り伺ってみた。

10分程度だっただろうか。玄関先での立ち話ではあったが、職場近くで家と保育施設の両方を探し出すことの難しさに少し疲れ、理想の家探しは先に延ばして今通わせている保育環境を優先するという。

その帰り、車を走らせはじめると、ご夫婦のマンションから2区画くらい離れた場所に売り出し中の看板と建売物件が目に飛び込んできた。広さや立地は申し分なく、ご夫婦から聞いていた物件価格に十分おさまるものだった。直販物件だったがご夫婦に伝えたくなった私は、看板にあった連絡先をメモした。

「ご存知でした?いい物件がご近所にありましたよ。」

会社に戻ってからご夫婦に電話を入れてみると、都内で物件を探している頃に更地状態だったその物件を一度見に行ったという。

「私が交渉するので内覧しませんか?」

そう勧めると“一度検討する”と言って電話を切り、その数日後にご主人から私の仲介を条件に“見てみたい”という連絡が入った。数回の交渉の後に売主は条件を受け入れ、内覧と物件仲介が了承された。



内覧の日、ご夫婦と小さな女の子を迎えに上がり物件に向かおうとマンションを出た時、晴れてはいたが入道雲が発生していた。遠くから雷鳴も響いてくる。その音に臆病になり、ママにしがみつく小さな女の子が少し微笑ましかった。

物件の内覧をはじめてしばらくすると静まり返った室内に突然ザーッという雨音が聞こえてきた。にわか雨だった。

「でも明るいですね。」

雨が降っても光が差し込む明るい室内にご主人は感心し、奥様は広く使いやすそうなキッチンとその横にある小窓から入り込む日差しに心を奪われていた。その間、小さな女の子もお気に入りの場所を見つけていた。マンションにはない“家の中にある階段”を楽しそうに、昇ったり降りたりを何度も繰り返していた。

内覧を終え物件を出ると、雨は上がっていた。蒸してはいるが暑くはない。心地よい風を感じながらご自宅のマンションへ向かって歩きはじめた。

「あっ、ママ!」

小さな女の子が指差した東の空に虹が架かっていた。

「虹を見た人は、幸せになるんだよ。」

女の子にお母さんが教えていた。足を止め、虹を眺めながら会話をする3人を見て、私はスマホを取り出して声をかけた。

「一枚、撮ってもいいですか?」

西陽に照らされ少し眩しそうにした3人の背後に綺麗な虹が架かる幸せそうな家族写真を収めることができた。


フォトフレームに入ったあの日の写真


引き渡し後、挨拶に伺った時だった。

「娘を思えば、こちらで良かった。」

困難を抱え都内で物件を探す希望を叶えることはできなかったが、状況が変わったことを好意的に捉えたご主人の言葉が印象的だった。

奥様がこだわったという家具の上にはフォトフレームが並べられ、その中には“あの日の写真”も飾られていたのがとても嬉しかった。

2018-03-09 10:35:07
「疑いから入っていますよ。」が第一声の慎重なご主人とマンション派の奥様。
その裏側に秘められたものを払拭した新築戸建と営業の話




春の訪れはまだ先の寒い時期。10棟建ての現地販売会にご夫婦が現れたのはすでに薄暗い16時ごろだった。

「疑いから入っています。」

それがお客様の第一声。少し近寄りがたい雰囲気を醸し出すが、私にとっては接客しやすいハッキリと意思表示をするお客様だった。

「疑問がありましたらそのまま持ち帰ったりせず、なんでも聞いてください。」

そう伝えて、ご夫婦に物件の案内を開始した。



外壁を貼り終えたばかりの物件を、資料をもとに間取りや方角、日当たりなどを一通り説明した。

「家探しで最初に見る物件なので・・・。」

“疑いから入る”とは慎重なことを意味しているのだとその時に理解した。そんなご主人からはほとんど質問がなかった。ただ、無言だったわけではなく、生まれたばかりの女の子を近所のマンションに住む奥様のご両親に預けてきたことや物件とは関係のない会話でコミュニケーションを深めていった。

「新居を買うなら、私がマンション派で、主人は戸建て派なんですよ。」

そう話した奥様は、生まれてからずっとマンションで生活してきたという。一方のご主人は、戸建ての実家で過ごし、その後はアパートやマンションで生活してきたという。

「どう思います?」

第三者の意見を聞いてみたかったのだろうか。あるいはご主人の意見だけで戸建てを選択したくない気持ちがどこかあったのだろうか。戸建てを仲介する営業にそれを尋ねてきたことが少しおかしかった。

子供は走り回り、泣き叫ぶのが当たり前。でも両隣だけでなく上下階の住人に迷惑をかける。子供をのびのび育てたかった私は迷わず戸建てを選んだ経験を伝えた。

「そうそう!」

奥様にも思い当たる節があったのだろう。“子供が出す生活騒音”が奥様をマンション派から戸建て派に引き寄せた。ゴミを出す場所は?管理費は?矢継ぎ早に質問する奥様をご主人が嗜めるほどだった。

気付けば19時。3時間も話し込むのは珍しい。翌週の来店を約束すると、ご夫婦は生まれたばかりの女の子が待つ奥様のご実家へ向かった。



翌週、店舗であらためて物件をプレゼンした。完成イメージ図で夢が膨らんだのは奥様だった。内装のイメージが奥様の好みにピタリとはまったらしい。

そんな奥様にブレーキをかけるのがご主人の役目だった。“これでは決めません”と語るご主人には他の物件を資料で説明し、先週見た物件の優れている点を説いた。10棟のうち半分は成約され、2〜3件の商談もまとまりつつあることも正直に伝えた。もちろん焦らせるものではないことを慎重派のご主人に伝えた。

「来週、もう一度見に行ってみます?」

その問いに、即座に反応したのはやはり奥様。でも、その反応に慎重派のご主人がブレーキをかけることもなかった。

現地で待ち合わせた二度目の見学。二週間でより完成に近づき階段が使えたのはいいタイミングだった。3階へ上がっていったご夫婦はしばらく降りてくる気配がなく、私は1階でふたりをじっと待つことにした。

30分ほど経っただろうか。階段からペタンペタンとリズミカルなスリッパの音が聞こえてきた。

「親にも見せたいので、来週も見られます?」

それも慎重派のご主人らしい親御さんへの配慮だった。



最初に現地販売に来場されてから三度目となる見学にはご夫婦それぞれのご両親の姿があった。

「2〜3日前に、あそこの窓つけていたよね。」

そう語ったのは近所に住む奥様のお父さんで、何度か足を運んでいたようだ。一方、ご主人のお父さんは、ビルの配線工事を請け負う職人さんの目線で物件をチェックした。

「木造は、こんな感じなんだ。へぇ。なるほどねぇ。」

小一時間ほどだっただろうか。それぞれが完成間近の新しい家を見学し終えると、ご主人にお父さんがひと言伝えた。

「契約みたいに面倒臭いのは任せた。俺は帰るからな。」

その言葉に奥様のご両親も頷いた。

「ねっ、戸建てもいいでしょ?」

マンション生活の長いご両親に問い掛けた奥様の横で、それまで常に慎重で緊張感の漂っていたご主人の表情が、今までにない安堵の表情に変わっていたのがとても印象的だった。


疑いと不安を抱いていたお客様


その後、契約から引渡しまで何事もなく経過した。それからしばらくして、ご主人から携帯に着信が入った。

「わかります?」

契約前とは違って“同じ人?”と思わせるくらい明るいトーンだった。役所に提出する書類に関する問い合わせだったが、話は少しそれていった。

「疑いから・・・なんて言ったと思うんですけど、不安もあったんです。あなたのことは最初から信用していましたから。」

そんなことをさらっと明るく言えるご主人。快適に生活している様子が伝わってきたのがとても嬉しかった。

2018-03-02 11:53:42
予定とは違う家が建築されていく稀な出来事。
それを目の当たりにしたお客様は信頼する一級建築士を同席させて交渉に挑んだ。
売主とお客様の問題を仲介した営業の話。




「一体、どういうこと!?」

そのひと言からはじまった電話がお客様から入った。契約を終えてひと月が経過した頃だ。基礎工事も終わりカタチをなしつつある家が、契約した建物の設計と異なっているのではないかと不安を覚えたようだ。

この物件の土地は仲介したが、建物に関してはお客様と売主である工務店の二者間で結ばれた契約。とはいえお客様を無下にできず、仲介としてお客様をサポートする約束をした。

お客様との電話を終え、売主である工務店の担当者へ電話で事実を確認すると驚きの言葉が返ってきた。

「設計士に確認したところ、設計のまま建築すれば高さ規制の制限を超えてしまうので・・・。お客様にはそれを伝えずに・・・。」

お客様の電話は本当だった。お客様にそれを伝えず施工を進めたことに呆然とした。しばらく続いた無言の状態に痺れを切らしたのは工務店の担当者だった。

「お客様とお話をさせてください。」

(それが最初だろ!)

心の中で突っ込みながら、その後2ヶ月間で10回以上に及ぶお客様と工務店の仲介を請け負うことになった。



お客様から電話があった週末、問題を起こした工務店へ足を運ぶことに理不尽さも感じつつ、お客様を車に乗せて工務店での打ち合せに向かった。

重い空気が張り詰め緊張感が漂う部屋で、工務店の営業担当者とその上司と設計担当者が待っていた。平身低頭に謝罪から切り出したのは営業担当者だった。

「説明を・・・」と上司に促され、設計士が口を開くと部屋の空気は最悪になった。“高さ規制は知らされておらず、問題発覚後もできる限りのことをした。”と語ったそれは説明ではなく、自らに責任はないという言い逃れに聞こえたからだ。当然ながら、お客様も声を荒げる。

「今すぐ壊せ!予定通りの家を建ててくれ!」

お客様と工務店の交渉は一進一退、静寂を挟んでそれを何度も繰り返した。その間の私はお客様のことを第一に思いながらも、あえて沈黙を貫いた。両者を同じテーブルに着かせるのも私の仕事。工務店とは会社としての付き合いが続く。そんな私ができたのは、当事者間の話し合いに仲介が口を挟まないという態度を工務店に示しつつ、お客様から求められれば口添えすることだった。

互いの主張で終わった最初の打ち合せ。その翌週の打ち合せに設計士の姿はなく、設計担当を変えた旨の説明があった。

「あっ、そう。」

まったく気にする素振りを見せず本題の交渉に入ったお客様が印象的だった。



制限ある高さの中で工務店は何度も設計に手を加えて提案するものの、お客様が首を縦に振ることはなく1ヶ月半が過ぎた。そんな状況を変えたのは、お客様が信頼する女性を打ち合せに同席させたことだった。

「はじめまして。ご依頼を受けまして、同席させていただきます。」

渡された名刺には“一級建築士”と記されていた。お客様が信頼する彼女は、設計の専門家という肩書きだけでなく、とても交渉バランスの感覚に優れていた。

建築士の立場から細部に至るお客様の要望を工務店に伝え、お客様にも妥協点をアドバイスする。お客様に寄り添いながら、出来る出来ないをハッキリと発言する姿に私は感心した。

「夏を迎える前に基礎工事をはじめた方がいいですよ。」

基礎を急速に乾燥させてしまう夏の強烈な日差しはいいものではないとお客様にアドバイスしたのも建築士の彼女だった。それは暗に決断を迫ったものだとのちに話してくれた。

最終的にお客様が納得したものは、高さ規制をクリアするために基礎を掘り下げ、当初の計画に近い家を建てるものだった。それも信頼する建築士の説明があったからだった。



最後の打ち合せから帰る車中、ずっと気になっていたことをご主人に尋ねた。

「途中で契約破棄を考えましたか?」

はじめはそれも考えたというご主人に、窓の外を眺めながら“うんうん”と何度も頷く奥様の姿がバックミラーに映った。

「妻や娘と時間をかけて話し合い、大きな問題に立ち向かうことで家族の絆を感じたんです。住んでもいないのに愛着が沸いていましたね。」

そう語るご主人も奥様と同じように反対側の窓の外を眺めていた。


大人の喧嘩と交渉術


「契約上は関係ないのに、最後まで面倒を見てくださって、ありがとうございました。」

引き渡しの日にお客様から声をかけられた。私にとっては貴重な経験だったことやいくつかの出来事で会話が盛り上がった。その中で最も印象深かった最初の打ち合せでお客様が声を荒げたことを懐かしい思い出のように伝えた。

「あれは威嚇じゃなく、大人の喧嘩。交渉術ですよ。」

ややハニカミながら答えたご主人がとても頼もしく見えた。

2018-02-22 16:07:30
寡黙なお客様。自身はきっと気付いていない口癖の“ほぉ”。
思いが込められた口癖に追い詰められ、最後には労いを感じた営業の話。




クレームだ。

それは決して言いがかりではなく、お客様には非のないものだ。

「私も見ましたけれど、『あのままなら新居に移ることはできない。』と主人も言っております。」

1ヶ月ほど前に二階建ての物件をご契約いただいたお客様の奥様からの電話だった。契約物件近くのマンションに住む還暦を迎えたくらいのご夫婦は、“近所にあること”と“二階建ての物件”を譲れないふたつの条件としていた。

近所に住む娘さん夫婦、お孫さんと過ごす時間をとても大切にしていること。そして、新築物件は三階建てが多くを占めるそのエリアで、老いていく自らの将来を考えて二階建てにこだわった。

お客様は新居の完成を楽しみにしていた。ご主人は、物件の前を通る通勤ルートに変更したほどだ。“かわいい孫の成長を見守るお爺ちゃん”それに近い眼差しで日々成長していく新居を楽しみにしていたのかもしれない。

更地に基礎が完成した頃、問題に気付いたご主人はそれを奥様に伝え、奥様もすぐに確認したという。その電話を終えると私はすぐにクレームの原因を確認する為に現場へ向かった。

物件の前に電柱が立ち、その電柱が倒れないようにワイヤーの支線が張られている。問題は、その支線が玄関への動線を遮るように斜めに張られていたことだった。

決して大柄ではない私でさえ身を屈めなければ玄関にたどり着けない。生活に支障が出て『あのままなら新居に移ることはできない。』という主張も納得だった。

(そんなことはないだろうという確認不足と説明不足・・・)

自責の念にかられた私は、その足でお客様のご自宅へ向かったが、玄関先で応対する奥様からご主人が話す気分になれない旨を伝えられ、謝罪と問題を確認してきたことを伝えて会社へ戻った。



会社へ戻りしばらくすると、ご主人から電話が入った。

「ほぉ、あのままなら解約するぞ。」

最初の言葉で圧倒された。

「ほぉ、あんなものがあって生活できるか?」

その後も“そうだろ?”“違うか?”といったような会話がいくつか続き、“はい”と“仰る通りです”しか答えられない。

会話の冒頭には必ず“ほぉ”とも“おぅ”とも聞こえる低く響く口癖が入った。脅しの類ではなく枕詞だ。それでも低く響くそれが何度も繰り返されると次第に私は追い詰められた。そのことは記憶しているが、その後にどんな会話をして、どうやって電話を切ったのかをあまり覚えていない。

周囲にいた先輩や同僚が驚いていたことやお客様に食いかかるような言葉を返していた事実ものちに知った。ただ、ひとつだけハッキリ記憶しているのは、 “支線の問題と責任は売主様の方にある”と言ったことに対するお客様の言葉だった。

「俺は、売主じゃなくハウスプラザと契約しているんだ!」

その意味を理解して最後まで責任を貫かなければならないと思う気持ちは、時間を追うごとに強くなっていった。


最初にしたことは、上司への報告と相談だった。“住宅前にある電柱の支線”の問題は稀にあることで、対処方法を教わると少し安心した。しかし、大変なのはそこからだった。

引き渡し前の物件の所有者は売主様であり、売主様の申し立てで電柱を管理する団体に申請をしなければならない。ところが、売主様は引き渡しに向けて面倒な支線の移設申請に時間を割く余裕がないという。

私は仲介者としての役目を果たすべく、お客様の立場で電柱を管理する電力会社や通信会社との打ち合せを行い申請に必要な条件をすべて整えることを約束した。

「そこまでやってくれるのなら・・・。」

ようやく売主様の首を縦に振らせ、支線は生活上支障のない位置への移設が決定。そこから1ヶ月半を要して移設工事が完了したのは、お客様と引き渡し前に行う最終確認の2日前だった。


その間、お客様のご自宅へ伺って状況報告を数回行ったが、その場にご主人は現れず奥様にお伝えした。移設工事の完了報告と引き渡し前の最終確認について打ち合せしている時、奥様がご主人の様子を話してくれた。

「あの人、いつも寡黙なの。それに言葉選びが不器用でね。意地っ張りですし。」

電話で言い過ぎたこともあり、会い難くなっていると加えて話してくれた。

引き渡し前の最終確認の日、ご夫婦は娘さん夫婦とお孫さんの5人でやってきた。私は他と変わらぬ接客で、5人を家の中へ誘導したその時だった。

「ほぉ・・・」

右手でさりげなく支線を確認したのはご主人だった。そのままご主人は誰よりも先に家の中へと入っていった。


あのときの“ほぉ・・・”


その後、“ほぉ”というご主人の口癖を何度も耳にしながら、引き渡しを無事に終えた。

右手で支線に触れながら発した“ほぉ・・・”を、私は勝手に“頑張ってやり遂げたじゃないか”という労いの言葉と受け取った。

2018-02-16 11:13:48
“売れない”“売りにくい”と酷評の物件。
しかし、その物件と売主様の魅力に気付いたひとりの営業。
こだわりの物件をつくり続ける売主様とその熱意に惚れ込む営業の話。




「新しい物件が出るんですが、また“あなた”にお願いしたいんです。」

それは売主様がハウスプラザではなく、私個人に新しい物件を一任したいという内容だった。もちろん、他社への依頼など考えていないという。

その売主様とのはじまりは、以前の店舗に勤務していた頃。“売れない価格帯”、“売りにくい間取り”という評価の物件があった。
当然ながら他の営業は手頃な価格のスタンダードなつくりのいわゆる“売りやすい物件”に目を向けた。
そんな置き忘れられてしまいそうになっていた物件が、その売主様のものだった。

少し相場より高い理由は何か。この間取りの使いやすさは何か。そればかりを考え物件の良さを見つけ出した私は、お客様にアピールして完売させた。
以来、その売主様から頼られることが多くなった。

物件だけでなく、“足を運び、汗をかく売主様”にも私は魅了された。
アフターメンテなどの際、他所なら請負業者や施工業者にすべて任せる売主様が多い。クレームでもない限り売主様が現場に足を運ぶことはあまりないが、その売主様はどんな些細なことでも業者よりも早くお客様のところへ足を運んだ。
そんな汗する売主様の姿を私は好きになった。


今回依頼された2棟の物件も周囲の評価は同様だった。
人気のエリアとは決して言えない場所に建てられる新たな物件は、相場よりやや値段が高く、現在主流の間取りや内装とは少し違っていた。それでも強固な基礎づくりからはじまり、上質な建材と設備がふんだんに使用される。そんな売主様のこだわりが込められた物件に私も魅了された。
売りやすい価格帯の物件も周囲にはたくさんあった。それでも、“こんなにいい物件はない。一番いい物件だ!”という思いが強かった。

強い思いは、ポスティングチラシやネット掲載で使用する写真にすらこだわった。朝・昼・夕、物件が一番映える日当たりを求めて現地に足を運び写真を撮った。
その結果が如実に現れたのはネット掲載で、メールでの問い合わせが多数寄せられた。しかし、いざアポイントの電話を入れても次に繋がらない。

(反響は多い。いつか、このこだわりが伝わるお客様に出会える。)

そう信じて疑うことはなかった。


そんな私のこだわりに呼応するように2棟の物件に2組のお客様が現れた。10歳くらいの女の子がいる3人家族と結婚を控える30代前半のカップル。

「すごくわかりやすかった。なんか住んでみたくなった。」

そう語ったのは女の子。施工・基礎・耐火・耐震・間取り・建材などなど、大人でも聞いたことないような専門用語については、いつも私は小学生でも分かるように丁寧に説明していた。だからこそ、熱く語る惚れた物件への思いが女の子にも届いたのだろう。ほどなくして、このご家族と契約に至った。

一方のカップルは、入籍を控える多忙な時期だった。さらに別々に暮らしていることから、先のご家族のように新居を検討する時間に多くを割けない状況だった。

テーマパークで感じるドキドキやワクワクを家探しでも実現できると思っている私は、物件探しをする1日を楽しんでもらえるようにカップルをもてなした。

“終日、家探しに没頭してもらう”

そのために、希望条件や見学したい物件などをあらかじめ聞き出し、可能な限り情報収集や下見を行った。
その上で、物件の良い部分や悪い部分を的確にお伝えした。

物件探しに悩むカップルの心を整理するために、終電ギリギリまで車の中で商談を続けたことが一度だけあった。

「スッキリしました。あの家に決めました。」

“未来のご主人”がそう電話してきたのは、終電で帰った翌日の午前中だった。


「さすがですね。今回も、お任せしてよかった。」

依頼された2棟の物件を無事に完売できたことを報告したときにいただいた売主様からの労いの言葉だ。

こだわって建てられる物件の魅力をお客様にきちんとお伝えする。それが営業の役目であり、そのためには自分自身が物件に惚れ込むことも重要だ。

「新しい物件が出るんですが、また“あなた”にお願いしたいんです。」

労いの言葉に浸る間もなく、売主様は言葉を続ける。

いつもと同じように任された物件。きっと、いつもと同じようにいい物件に違いない。


熱を伝えるのも仲介の仕事


こだわっていいものを作っている売主様に惚れ込んだ営業とその営業を信頼してすべてを任せる売主様。
そんな相思相愛のような関係が何よりも嬉しい。

同じように、お客様ともそんな関係を目指している。
だから私は、売主様や物件から感じた熱をお客様にそのままお伝えすることを常日頃心がけて営業活動をしている。

2018-02-08 12:49:22
お客様と担当営業の出会い。
営業担当も知らなかった物件との出会い。
それぞれに思い入れのある下町。
そのすべてを“巡り合わせ”と感じた営業の話。




「あっ!ママ、ひなちゃんのうちだ!」

物件見学に向かう車の後部座席にちょこんと座る女の子が声を上げた。私の娘より1〜2つ幼く、4歳くらいだろうか。奥様曰く、公園デビュー以来の“おともだち”であり、親しくお付き合いしているママ友の家の前を通り過ぎたようだ。

「角から3件目。シルバーのポストの家なんですけど・・・。」

奥様のその言葉に、耳を疑った。なぜなら、そのシルバーのポストの家は、私にとっても友人の家であったからだ。ひなちゃんには1〜2つ上にお姉ちゃんがいて、その子の名前を私がたずねると奥様は驚いていた。

そんな会話をしている途中に、その友人の言葉がフラッシュバックした。

− 家を探している人がいるから今度紹介する −

まさか・・・と思いつつも、会話の流れでなんとなくたずねてみた。

「その友人から不動産仲介の人を紹介されていませんでしたか?」

2〜3秒の間があったのちに、奥様が“あっ!”と閃いたかのようにスマホを操作し始めた。LINEでのやりとりを思い出した奥様は、“知り合いの不動産仲介を紹介する”で話は止まっており、不動産仲介であるハウスプラザや営業である私の名前は伝えられていないことを話してくれた。

「こんなすごい偶然あるんですね。」

そう語ったご主人ではあるが、偶然はこれだけではなかった。


この物件はお客様であるご主人が自らネットで探し出し、問い合せをしてきた。その町に売り物件が出ることはとても珍しく、広さ・間取り・環境をはじめ、お客様にとっていい条件が揃った物件だった。

その町には数多くの不動産仲介業者があり、その中でハウスプラザを選んだこと。そして、その町を担当するハウスプラザの店舗には営業が10人ほどおり、偶然にも応対することになったのが私だった。

また、私は問い合せの物件を“売約済み”と認識していたが、確認すると直近で解約と再販が決まった物件だった。お客様がこの物件を見つけたタイミングは偶然にもネットに再掲載された直後だった。

このふたつの偶然を知る由もなく、私からその事実を知ったご主人が口を開いた。

「そうなんですか。運命めいた何かを感じますね。」

そう語ると、物件見学へと向かう助手席で手渡していた資料を感慨深げに眺めていた。


お客様が探し出した物件は、私にとってもとても思い入れのある町にあった。私とその町の出会いは高校時代であり、それ以降はとても多くの時間をその町で過ごしている。
当時の仲間とは今でも付き合いは続き、飲みに行くのは決まってその町であり、お客様との共通の友人と出会ったのもその町だ。

JRと私鉄が乗り入れ、隣駅には大きな歓楽街もある。学生時代にたまり場になっていたショッピングセンターや駅ビルは再開発され姿を変えてしまったが、路地を一歩入れば袋小路があったり、大きな天神様があったりと変わらぬ下町風情が残されている。

私がこの町を好きになった一番の理由は“人”だ。お節介や世話焼きが心地よく、ドラマや映画で描かれる下町情緒が当たり前のように存在している。

「このあたりの人って、片田舎出身の私たちにもあたたかいんです。」

後部座席で娘さんをあやしながら奥様が語った。公園デビューをきっかけに下町の人柄に触れ、魅了されていったのだろう。
一度離れたことでわかった下町の良さ。助け合えるママ友がたくさんいる町で子育てを望み、新居を探しはじめたという。


駅から10分。近くには公園や病院もあり、周辺環境も整っているお客様自身が探し出した物件。到着すると早々に資料を片手に物件の確認に取り掛かった。
およそ30分くらいだっただろうか。多くを説明する必要もなく、お客様の腹はすぐに決まった。

物件の確認を終えて店へと帰る途中、助手席に座るご主人が話しかけてきた。

「娘が喘息になってしまって。今ふたりは妻の実家にいるんですよ。」

2歳を過ぎた頃に出始めた喘息の症状もだいぶ治り、保育園へ通うことに支障がなくなったこのタイミングで新居を購入する決断に至ったという。

「もうすぐパパとずっといっしょにいられるんだよ。」

ご主人の決断を汲み取った奥様は、疲れて眠っている娘さんの頭をやさしく撫でながら嬉しそうに語り掛けていた。


大好きな町の記憶がひとつ増えた


その日のうちに契約まで済ますと、今晩は久しぶりに3人だけで過ごすことができると嬉しそうに帰って行った。
その晩、共通の友人に電話を入れて確認してみると、やはり紹介する予定だった人物ということが判明した。

お客様と紹介者と私の巡り合わせからはじまり、お客様が物件に出会ったタイミング。そして、その家族の新しい生活。

私の大好きな町の記憶がまたひとつ追加された出来事だった。

2018-02-01 11:33:39
家が欲しい。家を売りたい。
そこで巻き起こる双方の駆け引きや交渉。
20年以上異国の日本で生き抜いてきた逞しさと優しさをもった女性客と若手営業のお話。




「あの、わたし、いま、看板見てから電話してます。」

特徴的なイントネーションや言い回しは、日本人女性でないことがすぐにわかった。
すぐに現地へ向かうことを告げ電話を切ると、外国人を接客することに不安や戸惑いが生まれはじめた。

待ち合わせした物件の前には、とても身なりの整った女性がひとりで待っていた。
基礎工事も行われていない更地の物件のため間取りなどを資料で説明したが、言葉を理解するスピードと疑問点への反応が私の中にあった外国人客への不安を一瞬にして消し去った。

日本で20年以上生活しているという中華系の女性は、物件の近くで中華料理店を営み、食材の輸入・整体マッサージなどの経営も行っている。

「マンションの修繕積立、管理、駐車場。毎月お金もったいないよ。」

少し離れたマンションから職場まで車で通うよりも勤め先の近所に居を構えた方が得も便もある。
通常ならこちらが指摘するポイントであるが、現実的な観点から物件を探しはじめたところはさすがに経営者だ。


その女性は、物件をとても気に入ってくれた。そして、若い私のことも気に入ってくれたようだった。
家族のこと。日本人と結婚歴があったこと。現在の恋愛のこと。日本での20年間にわたるプライベートな出来事を赤裸々に語り聞かせてくれた。

なかでも息子さんの話をしている時は特別だった。妹さんの面倒見がいいことや数々のお母さん思いの行動。大学も無事卒業し、現在はお店を手伝ってくれていること。
そんな自慢の息子さんを語るお母さんの表情は、とても優しそうで瞳がキラキラとしていた。

ところが物件の話になると、表情は一変して厳しくなった。

「すごく買いたい。買うから80万値引きね。じゃなきゃ買わない。」

最初の物件価格を提示した際に価格交渉できるか尋ねられることはあるが、具体的な金額をお客様から提示されたのははじめてだった。
売り出したばかりの物件でもあり応じられないことを伝えると、執拗に求めてくることはなかった。


ある日、上司と車で移動中にその女性から電話が入った。
先に提出していた資金計画の金利に誤りがあり、実際のローン金利との差額が生じてしまうことが判明した。

「これ、話と違いますね。高くなるよ。これじゃ買えないよ。」

要は、だから値引きして欲しいという内容だ。総額にして3桁に届かないくらいのもので、月額にすればランチを1〜2回我慢するほどのものだった。
資料の誤りはこちらに非があったので丁重に謝罪をしていると、その様子を黙って伺っていた隣の上司から通話中の私にこっそりとアドバイスが入った。

「値引き交渉の材料にしたいのでしょう。このお客様は、間違いなく買うと思う。金額のことは任せるよ。でも、お客様の要望を全て受け入れるのが営業ではないからね。勉強するいい機会じゃないかな。」

その女性との商談に何度か同席していた信頼する上司が断言したのだから、私はその言葉に背中を押された気になった。

「売り出したばかりの物件であり、新たなお客様はすぐに現れることが予想されるため条件の変更はできません。」

ハッキリ伝えると同時に私の中に“もし断られたら・・・”という不安もあった。少し考えさせて欲しいと言って電話を切った女性が次のアクションを起こしたのは、その数時間後だった。

他のお客様と商談を終えると会社から“お客様が来店されている”という電話が入った。
私の帰社時間が遅くなることを伝えても、“何時でも待ちます”というお客様の名前を尋ねるとやはり“あの女性”だった。

よほどこの物件が欲しかったのだろう。お店でずっとお待たせした女性と商談をはじめると、数時間前の電話内容に触れることもなく“早く話を進めましょう”という意欲が感じられた。


無事に契約も済ませ、同時にマンションの売却も任せられた。
厳しい諸条件が付いていたため希望金額とはいかなかったが、物件の引き渡し1ヶ月前に売却が完了した。

「新しい家。うれしいね。ありがとう。」

引き渡しの時にそう言った女性は、息子さんの話をしていた時と同じように瞳がキラキラとしていたのがとても印象深かった。


今度は私がお客の立場に

引き渡しから1ヶ月後、上司の発案により女性の店で部署の懇親会を行った。
予約しておいた中華料理店は、すぐに満席になる盛況ぶりだった。
料理は美味しく価格も安い。そしてなによりも、明るく元気に働くその女性の姿を見て人気店であることに納得した。

「ありがとうございました。また来てくださいね。」

そう言って見送ってくれた女性の明るい表情が、私には営業スマイルではなく、いつか見た笑顔と重なって写った。

それ以降、仕事やプライベートで何度もお店に通っている。

2018-01-26 10:39:34
声が掛けられないほど人見知りのお客様。
引き渡しの時、お客様から頂いたものはネクタイだった。
家電量販店の販売員から転職した営業がお客様の夢を叶えたお話。




ハウスプラザに転職して間もない10年ほど前。不動産業界のことをよくわからずに現地販売を担当したときの話。

週末だけでなく平日も足を運び現地販売を行っていると、近隣住民の方と顔見知りになる。
挨拶したり軽く言葉を交わしたり、なかには物件の前を通るたびに必ずチラチラと見ていくご夫婦もいた。
物件の向かいのマンションに住むそのご夫婦は、バルコニーからこちらを眺めていることもあった。

ある平日、接客中に現地販売の看板を真剣に見ている女性が視界に入った。
向かいのマンションに住むあの奥様だ。接客が済むとタイミングを見計らったかのように奥様から声が掛かった。

「この間取りは、どの家ですか?」

その細々とした第一声に応え、私は9棟ある物件をひとつひとつ指差しながら会話を続けた。

「ぜひ週末にご主人とお越しください。」

そう促すと資料を持った奥様はマンションへ足早に消えていった。


その週末、向かいのマンションからご夫婦が出てくるのがわかった。
奥様はスッと私に歩み寄ったが、ご主人はどこか警戒している様子で少しずつ距離を詰めるように寄ってきた。

家電量販店で働いていた頃、人見知りが激しく自分から声を掛けられない人と接した経験が幾度とあり、まずは心の距離を縮めようと不動産とは関係ない会話を続けた。

物件の前を行ったり来たりするたびに、必ずチラチラ見ていたこと。
マンションのバルコニーから眺めていたこと。
私は担当してから二週間ずっとご夫婦が気になっていたことを包み隠さず話した。

「正直、『何やってるんだろう?』って思ってました。」

場を和ませるために笑いながらそう伝えると、奥様から2〜3歩引いていたご主人の表情が緩み、はじめてご主人の声を耳にした。

「ずっと気になっていたんです。」

その言葉をきっかけに、ご夫婦の心は解き放たれた。

夢はマイホームを持つこと。そんなご夫婦の目と鼻の先に、全9棟の物件が売りに出されたのは3ヶ月前。
まっさらだった土地には家がどんどんカタチになり、“売約済み”という張り紙が毎週のように増えていく。
マンションのバルコニーから日ごとに変わっていくその光景を眺め、焦りを募らせていたらしい。

そして、私に声を掛けてきた時には、あと2棟という状況だった。

“あのお客様と商談が決まってしまったら一生マイホームが買えなくなるかもしれない・・・”

あの細々とした奥様の第一声は、そんな思いから精一杯絞り出した心の声だった。


人見知りで控えめな性格と自分たちを表現するご夫婦は、自ら他人に声を掛けることができず、押しの強いタイプの人は避けてきたという。
そんなご夫婦に声を掛けず笑顔で軽く会釈するだけの私がやがてほどよい距離感となり、奥様のご両親が不動産購入であまり良くない経験があったことも話してくれた。

気付けば物件の前で物件とは関係のない話を3時間も続けていた。
どのように次のステップへ商談を進めてよいかわからず、私は単刀直入に切り出した。

「どうされます?」

その問いかけに呼応したのは、ご主人だった。

「買いたいです。どうしたらいいですか?」

はじめてご主人の目と合った瞬間だった。

その日の夜に来店いただき、上司のサポートで資金計画の打ち合わせから契約まで済ませることができた。


引き渡し当日は、ご主人は仕事があり奥様ひとりだった。

「私たちの夢が叶いました。ありがとうございます。感謝の気持ちをうまく言葉にできないので・・・。」

そう言って手渡された物は、高級ネクタイだった。
当時の私はネクタイを2本しか持っておらず、いつも同じネクタイを締めていることに気付いていたのだろう。
いつもは“お気持ちだけで・・・”と丁重にお断りしているが、人見知りと言いながら私をちゃんと見ていた素敵な気遣いをさすがにお断りできなかった。

その夜、ご主人の帰宅する頃を見計らい和菓子の返礼を持ってマンションに伺った。

「妻の両親のことや他人に声を掛けられない私たちは、マイホームを生涯持てないと思っていました。本当にありがとうございます。」

ご主人の言葉を聞いた時、お客様の人生の転機となるこの仕事に転職して本当によかったと思った。


ネクタイとともに成長した新人営業

このお客様とは交流が続き、新年の挨拶状を毎年交わし、電話で話すこともある。

「こんな俺が買えたんだから、お前も買えよ。」

ご主人の幼馴染みを紹介してもらい、力強い助言もあって契約頂いたこともあった。
契約の時に着けていたのは、もちろん頂いたネクタイ。

初めて契約を結んだお客様から頂いたネクタイは、新人営業の成長とともにボロボロになっていった。
もう着用できないほど愛用したネクタイは、今もクローゼットにひっそりと並んでいる。

2018-01-18 15:31:22
契約や引き渡しは大きな節目。
ちょっと安心した時に判明した認識の違い。
お客様から届いた手紙。悔いだけが残ってしまった営業のお話。




「これはありえない。こんなこと聞いてないとふたりは言っています。」

お客様であるご主人のお父さんから発せられた言葉には、かなり強い語気が感じられた。
物件の見学から契約に至るまで何度も商談に同席した“息子さん思いの熱心な親御さん”というそれまでの印象を一変させた。

引き渡し直前に行われた内見で発覚した問題は、隣の家との間に設けられた“塀”が原因だった。

「物件見学や資料での説明の時に、隣家との境界線上に“塀”が設けられることを・・・」

そんな言葉を返したかったが、言った言わない問題になれば話はますますややこしくなる。私はグッと言葉を飲み込んだ。

翌週に引き渡されるマイホームの前で行なわれている私とお父さんのやりとりから身を隠すかのように、お客様であるご夫婦はひっそりと佇んでいた。



この物件の塀は、隣家との境界線上にブロックが等しく配置されていた。
少しでも広く土地を活用するために“お互いに土地を折半して塀を設けましょう”という都心のエリアでは一般的な方法だ。
このエリアで不動産営業を10年以上やっている私にとっても当たり前の認識であり、それが常識だと思っていた。

ところが奥様のお父さんの言い分は違った。
お父さんの住まいがある地域では、塀は必要と感じた方が自分の土地に作るもの。
境界線上に塀を作れば所有権問題が発生する。だから境界線上に塀が設けられることが“ありえない”という。そんなお父さんは不動産に関する仕事をしていた。

「境界線上に塀を作る場合、当事者間の同意が必要です。一方の当事者である娘夫婦が塀をいらないと言っている以上、相手方が塀を必要とするならば相手方の土地に設けるべきです。もちろん費用負担は塀を設ける側になります。」

のちに調べたところ、民法上はそのとおりだった。でも腑に落ちない。

(塀があることを同意の上で契約したはず・・・引き渡し直前に言い出すなんて・・・)

モヤモヤが渦巻いていた時、ことの成り行きを相談した上司からのアドバイスで少し目が覚めた。

「まずはお隣さんが塀をどうしたいか聞きに行ったら?」

私がやるべきことは、隣人同士が塀のことで揉めないように話をつけておくことだった。


先に入居していたお隣さんへは、隣人の入居が決まった報告としてアポイントをとって伺った。
しかし、自分の担当でもない不動産仲介が手土産持参で挨拶に来れば何かあったと勘ぐるのは当然だ。

「何かありました?」

お隣さんのその言葉をきっかけに、境界線上の塀のことや隣人が塀を望んでいないことなど、洗いざらい伝えた。
お隣さんの中に遺恨を作らないことが何よりも大事な使命で、“何を今さら”と怒鳴られることも覚悟していた。

「トラブルになるのは、ねぇ・・・。うちはいいですよ。」

工事費用は仲介であるハウスプラザが負担することを条件に、塀をお隣さんの土地に設けることを了承していただけた。
すべてを聞き入れてくれたお隣さんが、救いの神のように見えた。

塀をお隣の土地に移動する了承が得られたことをお客様に報告すると返ってきたのはたったひとことだった。

「はい。わかりました。」

塀の問題でお客様との間で心の壁ができた瞬間だった。


引き渡し後、事務処理でそのお客様とやりとりすることはあったが、わだかまりは解消されなかった。
それは相手にも伝わるもので、よくないミラー現象だ。お互いにそっけない態度となり、事務処理が片付くと次第に疎遠になった。

引き渡しから1年ほど経過したある日、お客様に加入していただいた知り合いの火災保険の営業担当から電話が入った。

「引っ越したよ。」

お客様から保険解約の申し出があり、不審に思ったその営業担当が詳細な理由を聞き出してくれていた。

入居してすぐにご主人は地方への転勤が決まった。
その家族には単身赴任の選択肢はなく、友人・知人・親戚に借り手がいないか探してみたものの最終的にその物件は他社で売却されてしまっていた。
転勤・賃貸・売却、不覚にもすべて知らなかった。

そしてその数日後、ご夫婦から手紙が届いた。
夫婦として新居への思いはいろいろあったが、感謝していること。
塀の件は、そのままでも良かったが言い出しにくい雰囲気になってしまったこと。
お父さんとのことがあり売却をお願いしにくかったこと。
そして謝罪の言葉が綴られていた。

私には後悔だけが残ってしまった。


慢心がもたらしたこと

“何かあればお客様から連絡があるだろう”

そんな思い込みがあった。不動産仲介に携わり続け、契約や引き渡しを節目にしてしまった慢心が引き起こしたことだった。

今ではそれが教訓となり、自分なりに気付き考えうるお客様のデメリットをきちんとお伝えするようにしている。

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