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2018-01-11 15:05:23
つたない接客をしてしまった新人営業。
営業としての成長を見守り続けたお客様から知人を紹介してもらうまでの人間関係を作り上げた営業のお話。




3月になろうとする頃、桜の木が延々と植えられた小さな緑道沿いにある物件の現地販売を担当していた。
私の取り柄でもある人懐っこさや愛嬌のよさを感じたご近所の方が教えてくれた。

「散った桜の白い花びらが、川や一本道のように続くの。そこを散歩するのが毎年楽しみ。」

一年でわずか数日しか体験できないというその光景は、住民だから楽しめる特権だ。

“桜が満開になるまでに契約まとめよう”

そう心の中で決めて現場に通っていた頃、30代後半のご夫婦がやってきた。
近所に勤め先がある奥様には土地勘があって、その環境の素晴らしさで会話が盛り上がった。

完成間近だった物件の二階にあるバルコニーへお客様を案内した。
緑道を指さしながら眺めるご夫婦。お客様はこの物件をとても気に入り、“私にとって2組目のお客様になってくれる”という思いが高まった。


数日後、資金計画の打ち合わせをしている時に小さな問題が起こった。
お客様に非がなく、私が無知だったことと拙い応対が原因だった。

“車のローンが残っており、住宅ローンを組むにあたり支障が出る”

こんなケースはよくあることで営業を数年経験した今の自分なら対処方法も知っている。
しかし、2件目の契約を目の前にした新人営業には、何をどのようにどう処理すればいいのかわからなかった。

ローンの残債を上司に相談して、手順や方法など教えられたことをそのままお客様に伝えていた。
しかし、子供のお遣いみたいなもので、私はお客様や上司の言っていることがほとんど理解できていなかった。

自分が理解できていないと拙い接客となり、“この営業、大丈夫?”と思ったお客様はさらに不安が大きくなっていく。

数日後、“担当を変えて欲しい”と連絡が入ったことを上司から聞かされた。

「担当は変えない。やり方は任せる。」

上司のひとことは、責任から逃れるために担当を降りてしまいたいと思った私を強く刺激した。すぐさまお客様のもとに向かい、至らなかった点を謝罪した。

「私たちは家を買うのがはじめてだから、不安や心配があります。だから、営業のあなたが私たちを安心させてください。」

その時、はじめてお客様が私に求めていたものが何だったのか気付いた。


それからしばらくは、“不安を与えてはいけない”という気負いがあり、お客様との商談は常にプレッシャーを感じた。
そんな私でも、お客様は温かく迎えてくれた。

お客様に報いるため、わからないことは上司に何度も尋ねたり自分で調べたりして、自分の中で理解することに努めた。
執拗な私に上司は呆れたかもしれない。それでも自分が理解できてお客様にうまく説明できると拙さは次第に薄れ、なんとか契約を結ぶことができた。

「あなたでよかったです。」

引き渡しの時にお客様からいただいた感謝の言葉は、嬉しさより驚きの方がはるかに大きかった。
担当が変われば、すんなり契約はまとまっただろう。
迷惑をかけてしまった新人営業の私に成長する機会を与えてくれたのはお客様だ。

「こちらこそ、拙い営業で申し訳ございませんでした。」

そう感謝を伝えるのが精一杯だった。


引き渡し後も電話したりご自宅に伺ったり、お客様との交流が続いていた。
そんなある日、お客様の新居に魅了された同僚女性を奥様から紹介いただいた。
お客様からの知人紹介は、お客様と営業の信頼関係がうまく構築できた結果であり、とても嬉しかった。

しかし、紹介されたお客様は新居への憧れが強く、希望の物件はなかなか見つからず時間ばかりが過ぎてしまった。

「物件探しに時間がかかりすぎるのは営業に責任があるんだよ。」

先輩からそう指摘され自覚もしていたが、なぜ見つからないのか原因がわからず現状を打破できずに1年を経過してようやく契約にたどり着けた。

契約が結ばれた夜、お客様に了承を得て紹介者である奥様に連絡をした。
ご紹介者の成約という報告をきっと喜んでくれると思ったが、そうではなく、とても驚いていた。

「見つからないと諦めかけていたのよ。彼女たち『1年も物件を見ると、どれがいいのかわからない』って悩んでいました。探し疲れ?それもあったみたい。」

物件が見つからないのではなく選べなかったのだ。
物件探しに時間がかかりすぎたのは、すべてをお客様に委ね決断しやすい提案ができなかった私に原因があった。
それを反省していた時、不意打ちのように期待していた言葉が耳に入ってきた。

「よかったですね。おめでとうございます。」

安心したのか、なぜか胸がジーンと熱くなっていた。


営業を育ててくれるのはお客様

いろいろ迷惑を掛けてしまったこのお客様には、自分が理解することや状況を察することなど営業として成長する機会を与えてもらった。

わからないことに気付けない新人営業の私を育ててくれたのはお客様であり、信頼関係がとても大事なこともお客様から教えてもらった。

2018-01-05 12:00:05
会社のため。同僚のため。お客様のため。
常に何かのためにベストを尽くすのはなぜか?
恩に報いるために活動する自分に愚直な営業のお話。




ハウスプラザは、城東エリアを中心とした地域密着型の不動産業者。
知名度はもちろん、地域のお客様や売主様から信頼される存在であると社員一同自負しているはず。

ところが積み重ねられた信頼と実績の上で商売をすることが、どれほどの恩恵を受けていたのかを浦和に開設した新店舗で身をもって体験した。
地域密着型であるがゆえに、城東エリアから離れた浦和では売主様や物件の新規開拓から始めなくてはならなかったからだ。


浦和の街には、カッコイイ物件や誰もが憧れる物件、扱いたくなる物件がたくさんある。そんな物件を見つけては、売主様と交渉した。

「私に扱わせてください。」
「私に任せてください。」

しかし、誰もが扱いたくなるそんな良い物件をおいそれと新参者に任せてくれたりなどしない。付き合いが長く好意的な不動産業者もいるだろう。

(無下に断ることができず、一応話だけは聞いてくれている・・・)

明らかにそんな感じでほとんど門前払いに近い印象。悪い表現かもしれないが“はいはい”と聞き流していることが営業の感覚でわかってしまう。
それでも熱意だけは伝えるように心がけた。

その熱意は、昔から続けているボクシングで培われた不屈の精神が自分自身を奮い立たせたからだ。

(自分から退いたら負けだ!)

いい物件を扱うために何度も交渉を重ね、難しい物件を扱ったり、先にお客様を見つけて物件を扱わせてくださいと頼み込んだりもした。
一歩一歩、着実に信頼と実績を積み上げていくと売主様も認めてくださり、少しずつ“良い物件”を任せてくれるようになった。


そこまで強い気持ちで売主様との交渉に挑んでいたのには理由がある。
“お客様にベストなものを提案したい”と思う営業魂はもちろんだが、ハウスプラザからもらった恩に報いたかったからだ。

ハウスプラザでの不動産営業の仕事もハウスプラザという会社そのものも好きだが、ひとつのことしかできない性格。
プライベートの問題でそちらに集中せざるを得なくなりハウスプラザを二度も退職した。
もちろん、そんな自分勝手な理屈が一般社会で通用しないこともよくわかっていた。

求職中に今の上司となる人にアドバイスを求めたことがきっかけだった。
当時、ボクシングトレーナーをしていたが家族を養うには心許なく、同業他社への再就職を考えていることを打ち明けた。

「そこまで真剣なら、まずはうちで面接受けてみたら?その方が働きやすいでしょ。それでダメなら他社の面接を受ければいい。」

ハウスプラザでの仕事に未練がずっとあった。二度も退職していながら受け入れてもらえるはずがないと思いつつ、やってダメなら次に進めばいいという上司のアドバイスに従った結果、ハウスプラザで働く機会が得られた。

(ボクシングならダウンは二度まで。三度目は試合終了。与えられたチャンスに報いなければ・・・。)

そんな思いで日々、仕事に取り組んでいる。


ハウスプラザには、様々な面で優れた営業がたくさんいる。
時間をうまく使える営業。資料作りがうまい営業。パソコンが得意な営業。提案がうまい営業。アフターフォローが抜群な営業。

そこで自分は抜きん出た能力を身につけることではなく、ハウスプラザでの居場所を自分で作ることにチャレンジした。

——上司・同僚・後輩といったすべての営業が働きやすい環境を作ろう!それがハウスプラザへの報答になる——

導き出した結論をもとに、自分なりのチャレンジを続けている。

営業なら誰もが扱いたくなる物件を見つけ出す。
任せてもらえるように売主様と交渉する。
その物件を同僚たちにも扱ってもらう。
その物件を購入したお客様に“ハウスプラザでよかった”と満足していただく。

これが自分なりの居場所であり、ハウスプラザのためになること。そんなことを思いながら営業活動をしている。

現在は浦和を離れてしまったが、当時の売主様がこんな嬉しいことを言ってくれた。

「そっちに家を建てるときがきたら、すべてあなたに頼みますよ。」


チャンスを生かしてチャレンジする

誰にでもチャンスをくれる会社。何度でもチャレンジできる会社。

本人にやる気があれば、若い新入社員も同業からの転職者も自分のような出戻り者も平等にチャンスやチャレンジする機会を与えてくれる。
そんな会社はそうそうあるものではない。

こんな素晴らしい環境で働き続けるために、そして何よりお客様に満足していただくために、今日も素晴らしい物件探しを続けている。

2017-12-15 13:11:50
こだわり。細心。でも決してクレームではない。
細かくチェックするお客様とそんなタイプがちょっと苦手な営業。
売主様、監督を交えてお客様との人間関係を築きあげていった営業のお話。




2011年東日本大震災とタイミングが重なってしまったお客様がいた。

2月に契約したその物件は、外壁や内装の設備などをお客様に自由にセレクトいただけるとても人気のある建売だった。

奥様はキッチンやお風呂などの水周りには細部までこだわり、楽しそうに設備を選んでいたことを今でもハッキリと覚えている。

2月中には設備がすべて決められ、基礎工事も終わっていた。7月初旬に引き渡しを行うスケジュールで問題なく進むと思っていた時に、震災が起こってしまった。


お客様はご自身の目で現場を確認するほど心配になっていたようだが、基礎は震災の影響を受けることはなかった。
しかし、週が明けると大震災の影響を目の当たりにすることになる。

「設備メーカーの東北工場が被災した!」

売主様から入った連絡によると、“津波の影響や交通事情で材料が届かずに生産ラインも止まり資材が入ってこない”という。
スーパーやコンビニから食料品がなくなり、ガソリンスタンドで給油待ち渋滞ができたことと同様だ。
とはいえ、入ってこない資材の多くは、奥様がこだわっていた水周りに関する物だった。

その事実をすぐさまお客様に伝えると、“しょうがないですね”と一定の理解を示したご主人に対して、奥様は違っていた。

「せっかく選んで決めたんだから・・・それで契約したんだから・・・」

きっと事情は理解している。でも、自分が選んで決めたこだわりのマイホームをすぐには諦められない。
感情の整理が簡単にできないのは当然だと思った。

翌週、売主様も交えて今後のことについて打ち合わせをした。入ってこない資材の代替品を選んでもらうことが主題だ。
ご主人とふたりで打ち合わせの場にやってきた奥様は浮かない表情だった。

奥様の憤懣やりきれない気持ちは先週の電話以降もおさまらず、ご主人すらしびれを切らしかけた時だった。

「最初に選んだ設備や資材を待つという選択肢もあります。でも、正直いつ入ってくるかわかりません。当然、引き渡しも先になってしまいます。」

私や売主様の説得には不満を述べていた奥様も、施工管理する監督からの言葉を聞いてようやく状況を理解してくれた。

諦めと納得が入り混じりながらお客様は代替品を決めて行った。それ以降はサイズ違いで収まらない代替品もあったが大きなトラブルもなく、施工日程に影響を与えることはなかった。

引き渡し前の内覧会。基礎で見つけた蟻の巣穴ほどの小さな穴を指さして奥様が言った。

「新しい家具を買って、穴なんてありませんよね?」

例えとしては上手いかもしれないが笑えない。監督がアイコンタクトで“任せなさい”と言っているようだった。

「この穴はですね、コンクリートから空気が抜けた後に・・・」

説明を始めた監督の言葉には、奥様も耳を傾け納得していた。どうやら、この二人の相性は良さそうだ。


基礎の穴はそのままで、引き渡しも無事に終了した。その後は事務処理などの細かい連絡のやり取りをする程度の交流を重ねていた。

半年ほど過ぎた年末、食事帰りのご家族と偶然お会いした。軽い挨拶と記憶に残らないような何気ない会話だった。

「何かあったら電話してください。」

そう言って別れたが、その二週間後に電話が入ることになる。


「どうしたら・・・何をしたらいいのか・・・」

朝早くに鳴った奥様からの電話は、ただ事ではなかった。電話の向こうで慌てふためく奥様は、私が知っていた奥様ではなかった。

「旦那が・・・入ったままで。返事がないんです。」

お風呂場から大きな音とうめき声が聞こえ、いくら奥様が呼びかけてもご主人から返事がないという。

(一刻を争う事態かも・・・)

すでに救助要請は済ませていた。それでも救急隊が到着するまでのわずかな時間、誰かの声を聞きたかったのだろう。状況を聞きながら奥様を励まし続けると救急隊が到着した。そこで電話を切ったが、その夜に奥様から連絡が入った。

「早朝からご迷惑を・・・。」

なんらかの原因で足を滑らせ全身を強打したご主人は、苦痛から助けを呼ぶことすらできなかったらしい。とにかく大事に至らず安心した。

(なぜ私に電話を?)

その日の出来事を振り返ると疑問は残ったが、“頼られたのかな?”と思うと少し嬉しかった。


築き上げられた人間関係

アフターフォローに関しては誠意を持って対応するが、お客様との交流はあまり上手な方ではない。ところが、このお客様だけはちょっと異なる。

「息子の賃貸を探せる?」

私の仕事ではない。きっとお客様もわかっている。それでも私に相談を持ちかける。

今思えばチリのような小さな出来事をひとつずつ積み上げて築かれた人間関係は、お互いの中で特別な存在になっている。実に嬉しいものだ。

2017-12-07 14:47:35
親しい人が手に入れたもの。それが羨ましくなってしまった。
子供の頃に誰もが経験するそれに似ているかもしれない新居探し。
夢や理想と強いこだわりをもったお客様との長期にわたり物件を探した営業のお話。




新人の時、デザイナーズ物件を担当した。そのエリアにデザイナーズ物件が出るのは珍しく、角地に建っていたこともあり、とても見栄えのするものだった。

その存在感に惚れ込んだご夫婦が即決した。
地元に強いこだわりを持つ奥様にとって、そのデザイナーズ物件は優越感と幸福感が満足させるものだった。
親族や友人に幾度となく“自慢のマイホーム”を披露し、一番影響を受けたのは奥様の弟さん夫婦だった。

弟さんだけでなくその奥様も同じ地元。身内が叶えた夢のような現実に、若い夫婦は夢を大きく膨らませた。

“大好きな地元に自慢のマイホームを”

自慢のマイホームを手に入れたお姉さんにそんなことを伝えたのだろうか。
“紹介したい人がいる”と私のところに連絡が入ったのは、物件を引き渡してから1年ほどが過ぎた頃だった。


弟さん夫婦がお店にやってきた。新居を探しているお客様は目当ての物件を指名することが多いが、このお客様にはそれがなく、まずは希望や条件を確認する必要があった。

「お義姉さんの家。あんなステキな家がいい。」

そう語る奥様に強く同調するようご主人も頷き話を続けた。

「あと、地元!これは譲れないね。」

幸せそうなお姉さん夫婦に魅せられたのだろうか。“子供の頃、友だちが持っているものが羨ましくて自分も欲しくなる”まさにそんな感じ。若いご夫婦の夢はどんどん大きく膨らんでいく。

夢が膨らむ−−それはいいことだ。ただ、エリアが限られている上に、デザイナーズ物件はそうあるものではない。
見つかる物件は、若い夫婦の予算では厳しいものばかり。もちろんそのことは最初から正直に伝えていた。

“希望に近い物件が出たら連絡する”と伝え、その後は数回やりとりしたが進展することはなく、連絡が途絶えてしまった。


携帯電話が鳴り、そこにあった名前は5年ぶりに表示されたものだ。

「覚えていますか?また家探しをお願いしたいんです。」

もちろん覚えていた。珍しい名前だったこともあり、すぐに当時の商談内容も頭に浮かんできた。

後日、来店いただいたお客様は、地元から離れ、家族が増えていた。
子供の将来を考え、地元で暮らしたくなったという。あらためて探している物件の希望や条件を尋ねてみた。

「場所は地元。それと、デザイナーズ物件ってやつ?」

まったくブレていない。それでも少しは現実的になっていると思い、用意していた物件を資料で紹介した。

「コレは、場所が違う。」
「コッチは、デザイナーズじゃない。」

こだわりが強い。その後1年近くにわたり、いくつか希望に近い物件を紹介したが決め手となる物件はなく、ふたたび連絡が途絶えてしまった。


「見つけた!」

半年ぶりにお客様から電話が入った。自身で見つけたという物件は、現地販売用の看板を辿って行った先にあった。
その看板に“ハウスプラザ”と記されていたことから私に連絡をしてきた。決め手は“地元”だ。

別の店舗へ異動していた私は、お客様がこだわる“地元”エリアの担当から外れていたが現地でお客様と会うことになった。

今までに紹介した物件より見劣りする部分があり、知っていながらあえて紹介しなかった物件だった。ちょっと自責の念を抱えながら、久しぶりにお客様と会った。

「ふたりで話したんだけど、やっぱり“地元”だけは譲れなくって。」

半年で少し締まった身体つきになっていたご主人は、開口一番そう語り“地元”にこだわり物件を探し続けてきたという。
ふたりで探し出した物件は、間取り変更も多少の要望が叶えられ、内外装のカラーをアレンジできる。デザイナーズではないが今とても人気のあるものだ。

この半年の間に、医者から健康状態を指摘されたご主人は、仕事帰りに“ひと駅手前下車”を続けていた。
歩きながらいろんな家を見たご主人は、“自分たち家族にふさわしい家を探そう”と気持ちを固めたらしい。

「あれからふたりで物件を探して、自分たちが夢や理想ばかりの膨らんでいたことがわかりました。そんな自分たちにずっと付き合ってくれたあなたから買いたくって。」

そう語ったご主人とその横にいた奥様は、とても幸せそうな表情をしていた。

長かった家探しの終焉

引き渡しの時だった。

「長いこと、お世話になりました。これで終わりですね・・・。」

別れを惜しむかのように少し寂しそうな表情を浮かべたご主人に“何かあったらご連絡ください”といった旨を伝えると、すかさず奥様がひとこと続けた。

「何かって、問題がってこと?それはイヤね!」

年齢が近いこともあって、この家族とは特別な関係が今も続いている。

2017-11-30 12:24:16
物件に惚れ込み、「仲介を任せてほしい」と売主様に必死の猛アピール。
魅惑の物件に恋心を抱き、売主様を口説き落とした営業のお話。




「今度ね、この近くにおもしろい物件を計画しているんだよ。」

ある物件の引き渡しが終わった後、そう売主様の担当者から聞かされた。遊歩道が整備された河川敷沿いに庭付きの物件を3棟計画しているという。
日当たりや眺めも良く、おそらく最高の立地だろう。こんな物件、このエリアで見たことも聞いたこともない。

「ハウスプラザに・・・いや、私に仲介させてください!」

思わず口にしてしまったが、その物件はまだ計画段階だ。それでも想像するだけでワクワクする。
“自分の手で販売してみたい”と感じさせてくれる物件はそうそうあるものではない。

不動産営業として、お客様の目線で物件を見たり条件に合う物件を探したりと常にお客様にとってのベストを尽くしているが、はじめて惚れてしまうほどの物件に出会えたような気がしてならなかった。そんな思いは日増しに強くなっていく。


まだ着工どころか施工スケジュールも明らかになっていないその惚れた物件。当然、明確な返事がもらえないことを解っていながらも売主様の担当者へアピールを開始した。

(とにかく任せて欲しい想いを伝えなくては・・・)

黙って待つことができなかった私は、毎日でも売主様の担当者に連絡を入れたかった。とはいえ、行きすぎは迷惑だし逆効果になる。多くても週に1回と我慢し、熱いアピールを続けた。

プロの仲介業者である私がそこまで魅力を感じているならば、同じように魅力を感じている同業者がいてもおかしくない。そう思うと、焦りが出てくる。

(他の仲介会社に取られたくない。自分が扱うんだ!)

必死のアピールを続けた結果、その努力がついに実を結ぶ。

「仲介、よろしく頼みます。」

売主様の担当者から電話でそう伝えられたのは、最初に物件の計画を聞かされてから3ヶ月を過ぎた頃。現場では、すでに基礎工事が始まっていた。

「仲介をお願いすることに、社内でもいろんな意見があったんですよ。」

私をはじめ他の仲介業者が熱心だったが故に“仲介せずに直接販売できる物件”と考えた方も社内にいたらしい。それでも一番熱心だったという私を選んでくれた。

「ありがとうございます。私が責任を持って全棟完売します!」

担当者からの電話を切った後、なんとも表現しがたい充足感と大きなものを背負った責任感でちょっと身体がシビれた。
それは、少し恋愛と似ているような感じで、とても心地よいものだった。


“惚れ込んだ物件”をやっと販売できる。ネットに物件情報を公開すると、非常に多くの反響が寄せられた。
それは私も予想していたとはいえ、とても私だけで対応できる数ではなく、現地販売会では後輩に手伝ってもらう必要があるほどだった。

基礎が完成したばかりの状態で現地販売会を実施すると、全3棟に対してお客様はひっきりなしにやってきた。
河川敷の遊歩道を散策したお子様連れのお客様からは、その環境の素晴らしさも高く評価された。

「河川敷が整備されて、すいぶん綺麗に変わったなぁ。」

そう感想をもらしたお客様は、近所で生まれ育ったという30代後半のご主人だった。


近所に実家があり、掲げていた看板を見たご両親から“近所では見たことがない庭付きのいい物件が売りに出る”と教えてもらったという。

ふたりのお子様が小学校に入るまでに新居を決めたいと思っていたお客様にとっては、最高のタイミングだった。
お客様はご夫婦共働きであり、ご主人の実家が近所にあるというのは何かと助かることも多いという。

「30年くらい前かなぁ。私が子供の頃は、河川敷と言ってもここらはコンクリ固めで。そんな場所に遊歩道ができて、庭付きの素敵な家が建つんなんて。
この庭で子ども達が駆けっこして成長していくと思うと、今からワクワクしますよ。」

物件も環境もすべてが気に入ったというお客様は、すでにそこでの生活をイメージしていた。

「ちょっと歩けば、小さいけど花火も見えますしね。これからは、子供たちを連れて見に行こうかな。」

花火が見えるという方向を指さしながら、お客様は当時を懐かしそうに振り返っていた。

お客様も惚れてくれた物件

惚れ込んだ物件は、あっという間に全棟完売することができた。その中には、懐かしそうに花火が見える場所を教えてくれたご家族も含まれている。

何よりも嬉しかったのは、私が惚れ込んだ物件のポイントに、お客様も共感してくれたことだ。お客様にはもちろん、こんないい物件を扱わせてくれた売主様に感謝している。ただし、ひとつだけ後悔していることもある。

(自分が住みたかったな・・・)

2017-11-21 14:22:38
苦しい家計を乗り越えるために家探しをはじめた奥様。
奥様に全幅の信頼を寄せる寡黙なご主人。
互いを思いやる夫婦の強い絆を垣間見た営業のお話。




「今から見られますか?」

物件に掲げた看板を見たという女性からの電話を受け、私は現場に向かった。
待っていたのは電話をしてきた女性とご主人、小さな男の子。
挨拶を早々に済ませ、3人を物件の中に案内した。

細かく尋ねてきたのは女性だ。新居探しとなれば明るい未来を描き多少の浮つきを感じるものだが、そうではなく慎重さと冷静さを強く感じた。
一方でご主人は表情ひとつ変えず、無言で奥様の後ろをついて回るといった感じだ。

「うちの主人、町工場の職人なんです。」

奥様から教えて貰い、寡黙なご主人に納得した。表情を変えないもうひとつの理由も話してくれた。

「今のアパートでも十分だと言うんです。それに『自分たちに家が買えるわけがない』と諦めもあって。」

はじめてお会いした日。私と会話したのは主に奥様で、ご主人と交わした言葉はなかった。


初めに訪れた物件は、お客様の条件から外れていたため、他の物件を求めて来店されたり物件を巡ったりする日々が続き1ヶ月ほど経過した。

商談の中心は変わらず奥様。ご主人も変わらず寡黙だ。
しかし、1ヶ月も過ぎると少し気がかりなこともあった。見学中は饒舌な奥様が、契約や資金繰りの話になると歯切れが悪くなる様子に違和感を覚えた。

ある日、次回の物件探しで奥様に電話すると、打ち明けたいことがあるという。
それも“ご主人にはまだ秘密に”という。

「子供が産まれるまで正社員として働いていたんですが、出産でやむなく退職しました。そうなると主人の稼ぎだけでは家計が回らなくなり、悩んだ末に・・・」

金融機関から借り入れがあること、ご主人の収入とわずかながらのパートの収入で家計をやり繰りしていることを告白してくれた。
高い賃貸料を払い続けるよりも思い切って家を購入すれば家計がラクになると思い、物件探しをはじめたことを明かしてくれた。

奥様の言っている“家計のため”が本当で、個人的な趣味や嗜好に興じてしまった結果のものではないことは、何度もお会いしていた私には容易に理解できた。
ご主人に心配をかけまいとする奥様。私は力になりたいと心から思った。

「最適なお住まいと住宅ローンを探し出しますから安心してください。」

秘密を打ち明けられ、うれしかった。しかし、ご主人に隠し続けるため言葉の端々に気を使うなど、とても気疲れするものとなった。


条件が明確になり物件は探しやすくなったが、条件が厳しくなった物件を見つけ出すことは簡単ではない。
しばらくして、ようやくお客様の条件にピッタリな物件が現れた。
建築は終わったが、買い手が現れず販売価格を下げる物件があると売主様から連絡が入った。

(この物件なら、資金繰りもなんとかなる!)

そう判断した私は、すぐさま奥様に連絡を入れ、その週末に物件を紹介した。

「うんうん。素敵。いいと思うよね?」

努めて明るくご主人の同意を促すような奥様の言葉。きっと心の中に一筋の光が差すと同時に、大きな壁が現れたに違いない。
ローン審査の際に奥様が隠していた秘密をご主人に明かさなくてはならないからだ。


物件は決まった。ローンを組む金融機関も見つけた。
ご主人は資金繰りの資料から目をそらさずじっと見続けた。
真実の家計を知ったご主人の頭の中にはいろんなことが駆け巡ったに違いない。
隣でじっと見つめている奥様に「これなに?」と問い詰めることもできただろう。

同じような状況で、口論をはじめたご夫婦を何度も見てきた。商談がなくなるだけでなく、夫婦間の問題になったこともある。

それでもご主人は、溜め息ひとつ漏らすことなく微動だにしなかった。

「わかりました。」

いつもの寡黙なご主人だ。奥様に全幅の信頼を寄せているのだろう。私の目に映ったご主人は、家族を優しく強く見守る大きな存在だった。


引き渡しの日。新居の証である鍵を手渡した先は、商談の中心だった奥様ではなく家長のご主人だ。
直立不動で受け取った鍵を握りしめると、ほんの数センチ私との距離を縮めた。

「素敵な家が買えました。」

私の目をしっかり見てそう言うと、恐縮するほど深々としたお辞儀をした。
半歩下がった奥様もご主人の深々としたそれに合わせた。ご主人は、そのままの姿勢で続けた。

「本当にありがとうございました。」

しばらく返す言葉が見つからないほど、ご主人の潔さに圧倒された。

偶然の再会

後日、ファミリーレストランで偶然再会した。
家族3人が楽しんでいる時間を邪魔しては悪いと思った私が軽く会釈するとご主人も呼応するように会釈を返してくれた。奥様がすっと立ち上がると私に近寄ってきた。

「正社員で働けることになりました。」

そのお祝いで久しぶりの外食を楽しんでいるという。言い出したのは、きっと寡黙なご主人だろう。

2017-11-14 09:49:06
マイホーム購入は人生で大きな決断。
焦らずにお客様との縁を大切に。
持ち前の忍耐力で契約に繋げた営業のお話です。




私の強みは忍耐力。前職で培った“飛び込み営業”を自ら実行するスタイルを得意としている。
ハウスプラザに転職してはや2ヶ月経つが思うように営業成績が伸びないので、自ら飛び込み営業に向かった。
何軒も何軒もお宅のインターフォンを押しては門前払い。
意気消沈しかけながらも、めげずに最後、あるお宅で物件資料を渡すことができた。
この出会いが自分にとって忘れられないものになるとは、この時つゆほども思わなかった。

それから2ヶ月、同じルートを粘り強く飛び込み営業をするも思うように契約が取れず焦りの感情が芽生えてきた。
今日も見覚えのあるお宅のインターフォンを押す。
「あ、この間の不動産屋さんだね。ちょっと待ってね。」
と旦那様が玄関のドアをあっさりと開けてくれたので拍子抜けしてしまったが、
そこは2ヶ月前に唯一、資料を受け取ってくれたあのお宅だった。
その後、玄関先で挨拶だけ交わし数分でその場を離れたが、自分は多少の手応えを感じていた。
数回訪問を重ねた末に、ちょっとした顔見知りにもなり信頼を寄せてくれていたようで、ある日ご自宅に上がらせてくれた。
そこで、ご夫婦はいつかマイホームを持ちたいと思っていたことも打ち明けてくださり、条件を聞きそれに合う物件をご案内することになった。

数回、戸建てをご案内したが、最終決断にはなかなか至らない。
(なぜだろう?実は買う気がないのかな?)
そんな疑問を胸に、お客さまの家に出向いてみることにした。
雑談を交えながらお話を聞いていると、どうやら奥様は戸建ではなくマンションを希望していることがわかった。
懸命に物件を探している私になかなか言い出せなかった、とのこと。急いで会社に戻り条件に合った中古マンションを二つ選んだ。

その資料を持参し再度お客様の家に伺い、膝を突き合わせながら話をする。
私も遠慮して欲しくなかったので、なるべくリラックスできる雰囲気作りをし、何でも話をして下さい、と伝えた。
すると旦那様が前のめりになって
「この物件は、今日見せてもらえるんだよね?」
私は急いで売主様に内覧の確認をして何とか当日中に二つのマンションのご案内を取り次いだ。
一軒目は、築年数は浅く外観はとても綺麗。設備も充実していて、内装もスタイリッシュな物件だ。
(ここなら絶対に気に入ってくれるはず!)
内心そう思っていたが予想とは裏腹にご夫婦は
「素敵ね…」「うーん、そうだね」
と煮え切らないような印象だったので足早に次の物件へ。
二軒目は、設備は質素だが和室があり、アットホームな雰囲気の物件だ。
その一室に入ると、奥様が明るい声色で
「わあ!素敵ね!飾りっ気のない雰囲気が落ち着くわ。」
旦那様も物件をしみじみと見渡しながら
「おお、いいね。まるでずっと自分が住んでいたみたいな感覚だな。」
と笑っていた。私は黙ってご夫婦の姿を見守っていた。
旦那様は言葉を選びながら慎重な口調で
「この物件を買いたいんだけどさ、少しクールダウンの時間をくれるかな?」
通常なら早急に回答をいただきたかったが、気が付けば最初に訪問してから4ヶ月以上のお付き合いになる。自分にとって大切な家族のような存在にもなっていたので
「大事な決断なので、ゆっくり時間を掛けて考えてください!」と答えた。
ご夫婦に安堵の色が見えた。きっと私に気を使ってくれていたんだろう。

翌日、出社すると私宛に電話があった。

「あの物件にするよ。気長にお付き合い頂いたおかげで良い買い物が出来そうだ。本当にありがとう。」
契約よりもなによりも『ありがとう』の言葉が嬉しかった。

無事に引き渡しの日、奥様が改まった口調で声を掛けてくれた。
「あなたのような温かい人柄の方から買えて本当によかった、ありがとうね」
この一言をいただいた時、長い道のりだったがひとつの大きな仕事をやり遂げた気がした。

長い年月が経って、また“頼りに”してもらえた

あれから7年もの年月が経った。私は、今も変わらずお客様の目線でマイホームを紹介する日々を送っている。そんなある日、携帯電話が鳴った。
「久しぶりだね。実は家族が増えたのであのマンションを売って戸建に住み替えをしたいんだ。大きな決断だからこそ、やっぱり一番信頼しているあなたにお願いしたくてね。」
その声は懐かしくそして絶対に忘れられない声だった。
長い時間がたっても私を忘れずにいて頼ってもらえた。
言葉にならない感情がこみあげてきた。
間髪入れずに「おまかせください!」と口をついて出た。
「ありがとう、また前みたい気長に頼みます。」

2017-11-07 10:44:34
“デメリット”と“メリット”を明確に説明。
一人ひとりのお客様に丁寧に向き合っていた営業が思いがけないアクシデントに直面。
それを乗り越えて契約に繋げた営業のお話です。




私はお客様に物件資料をお渡しするときに必ずその物件の“メリット”と“デメリット”を自分なりの言葉で記入する。いわば、『私オリジナル資料』だ。
売って終わりではないからこそ、“デメリット”を事前に伝えるべきで、この仕事の原理原則だと考えている。

そんなある日、お客様から物件情報の詳しい資料を持ってきて欲しいと連絡を頂いた。いつも通りに物件の『私オリジナル資料』をお客様のお宅のポストに投函しに行った。そのポストには他社から取り寄せたと思しき資料が溢れんばかりに入っていて、マイホーム探しに精力的な姿勢がうかがえた。

翌週、そのお客様から電話があった。
「家内と一緒に拝見しまして、出来れば今週中に内覧をさせていただきたいんですが。」
こうして、お客様を現地にご案内することになった。

当日、お客様をお連れして物件に向かった。
落ち着いた紳士風の旦那様と、優しそうな人柄が滲み出ている奥様。現地でご夫婦は談笑しながら丁寧に部屋を見て回っていた。頃合いを見て私は
「長い期間マイホームを探されているんですか?」
と尋ねると、旦那様が
「そうですね、もう何軒目になるかな・・・。そうそう、あなたが資料に書いてくれた物件の良い点と悪い点、とても参考になったよ。他社の資料にはそんなこと書いて無かったから、ハウスプラザさんにお願いしたくてね。」
奥様も
「そうなのよね、私たちは素人だから知らないことばかりで。デメリットを事前に知っておけて参考になりました。」
そんなお話を聞いてその日の内覧を終えた。

お客様の希望で、翌週、翌々週も別の物件の案内をし、その頃にはご夫婦との距離感もだいぶ縮まったように感じた。

ある日、物件の内覧したあと、旦那様がおもむろに
「やっぱり、いちばん最初にみた物件が気に入ったな。何よりも周辺の街並みが自分の生まれ故郷にどことなく似ていてね。懐かしい気持ちになったんだよ。」
その一言で、最初の物件でお申し込みを頂くこととなった。その場で売主様に電話を入れ確認をすると、価格の件で思いがけない事実が。
「その価格は今月限りのキャンペーン価格で、決済が翌月となると値段が戻るんですよ。」
その差は数百万円。私は頭の中が真っ白になり、心臓の音が大きくなるのを感じた。
(せっかく物件を気に入ってくださったお客様になんて説明をしよう)
上司に連絡し何とか最初の価格で買える方法はないかと頭を捻ったが成す術はない。
(正直に、そして真摯にお客様に説明するしかない。もしかしたらお怒りになるかもしれない、でも真正面から向き合おう)
覚悟を決め
「大変申し訳ありません!こちらの物件は月内決済が可能な場合の価格らしく、今からですと間に合わない為・・・誠に申し上げづらいのですがお値段が今よりも上がってしまいます。本当に申し訳ありません!」
旦那様が静かに落ち着いた口調で
「え・・・?つまりどういう事なのかな?」
私は説明し尽して、何度も頭を下げた。

旦那様が奥様に耳打ちをして何かを相談している様子だった。
そして奥様が神妙な口調で
「私、あなたのことを信用しているからそのお値段で買います」
私は驚きと信じられない気持ちで
「確かにあの物件はなんの申し分もないのですが、価格変更後の予算でしたら
他も探せますし、全力でそのお手伝いもさせていただきます!」
「ううん。主人もあの物件を気に入っているし、私もあなたからだから安心して買えるの。
だから決めましょう、って今相談したのよ。」
旦那様もそれに続いて
「あなたに色々な物件の案内をしてもらって、誠実なお人柄だと感じたんだ。そしてどの物件資料にもちゃんと“デメリット”も記入してくれていた。家をただ売りたいだけだったら、あんなに詳しく“デメリット”なんて書かないだろう?価格の事もちゃんと納得いくまで説明してくれたから何も問題はないよ。」

私は勢いよく
「本当にありがとうございます!!!」
と伝え深々と頭を下げ、長らくお辞儀をしていた。お辞儀をしたものの、顔があげられない。目頭に熱いものを感じたからだ。それは涙。
視界がぼやけている。
「すみません、ちょっと目にゴミが入ったみたいで」
とベタな誤魔化しをし、顔を上げた。
私の涙を知ってか知らずか、それとも気遣ってくれたのか、ご夫婦は笑顔で新居について語っていた。

一筋縄ではいかなかったけど、いまでも年賀状を交わす仲で、ときにはお客様のご相談に乗ることもあるくらいの関係性を築けている。

2017-10-30 12:45:02
苦手なデスクワークで周囲を困らせることはしょっちゅう。
しかし、持ち前の明るさと愛嬌で、気付けばお客様の懐に入り込んでいる。
接客に憧れて転職してきた20代営業マンのお話。




入社してすぐ、上司から二通りの営業がいると教えて貰った。
“物件を丁寧に説明して契約を勝ち取る営業”と“世間話から信用を得て契約を勝ち取る営業”。
接客に憧れてガテン系から転職してきた私が望む営業スタイルはもちろん後者。

どちらのタイプであってもお客様との商談だけではなく、事務処理もこなすのがハウスプラザの営業。
“営業が売ってくれば誰かが事務処理をやってくれる”と間違った認識でこの世界に飛び込んだ。

デスクワークは苦手。たまにお客様を困らせてしまう。それでも、とにかく明るく元気に接客する。これが自分らしさだ。

こんな営業として未熟な私に特別な思い出を作ってくれたお客様との出会いは、入社から半年後の残暑が厳しい夏の終わりだった。


ずっと担当していた思い入れのある物件の現地見学会でそのお客様と出会った。

「また来ました。見学、いいですか?」

そう言って現地見学会にやってきた30代後半の男性は、1週間前にも見学に来たという。しかし、まったく記憶にない。これでは営業として失格だ。

「この周辺でお探しですか?」

思い出すきっかけを探るように尋ねると、前回は他の仲介業者の案内だったという。そこで軽く挨拶を交わしたご夫婦を思い出した。

奥様との見学で物件を気に入っていただけたのだろう。その男性はご両親を伴って二度目の見学にやってきた。
ご両親のチェックが入るのだろうか。物件購入の決意が固まっていると思い資金計画の打ち合わせを提案してみると、じっくり話を聞きたいという。
店舗までご足労いただき、上司と説明させていただくことになった。

店舗での商談が終わりお客様を見送ると、上司は“必ず買ってくださる”という確かなものを掴んだらしい。が、入社半年の私には掴めなかった。


“ゆっくり探している”というお客様は、熟考を重ねる慎重な方だった。
わずか1ヶ月の間に現地見学を3回。上司とお客様のご自宅へ伺うこと5回。他にも資料をお届けするなどでお客様の元へ通った。
初めは正座だったお客様のご自宅での商談も、足を崩して話せるまでの関係になった。

「もう少し漢字の勉強をしましょう!」

少し笑いながら私が作成した資料に目を通すお客様。苦笑いでその場をやりすごす私。その関係は、まるで“先生(お客様)”と“生徒(私)”のような感じだった。

やがて“先生”は“生徒”に悩みや不安だけでなく、決断を迷っている理由を打ち明けてくれた。
不動産のプロと認めてもらえたのだろうか。頼られている感じがして少し嬉しかった。

「価格・・・月々のローン返済が心配なんですよ。」

ご夫婦共に安定した職につくお客様は、しっかりと無理のない返済計画を立てていた。
そこで予算に見合う別の物件をいくつか紹介してみたが、お気に召すことはなかった。

「やっぱり、初めの物件がいいですね。」

この言葉を聞いた私は、売主様と交渉したり、お客様に合うローンが組める金融機関を探したり、できることに精一杯取り組んだ。
お客様の喜ぶ顔が見たくて転職したのだから、当たり前のことだ。

しかしながら、結果はお客様の想定していた月々の支払額を少しオーバーするものだった。
上司のアドバイスを受けながら、やれることはやり尽くした。

(またゼロから他の物件を提案しよう・・・)

そんな覚悟でお客様に資金計画をお伝えした。明るさが取り柄だが、さすがに気が重い。

「ご面倒おかけしました。ありがとうございます。」

手渡した資料を眺めながらそう言ったお客様。
私はご夫婦で検討する時間が必要かと思い腰を上げようとした時だった。

「ここまで頑張ってくれたんですね。これなら家計のやりくりでなんとかなります。」

うんうんと頷きながら語ったご主人。何かを確認するように視線を交わすご夫婦は笑顔に変わった。
そして、気づけば私もいつも以上の笑顔になった。


引き渡しの日。
立ち会った上司と私は奥様からプレゼントをいただいた。
小さな箱には手作りのケーキが入っており、とても心のこもった手書きのカードが添えられていた。

“様々な方々が関わって建てられた家。私たち家族の新しいスタートをここで迎えられることを楽しみにしています。色々なことへの相談に丁寧に乗ってくださりありがとうございました。二人に出会えてよかった。二人から買うことができてよかったと心から思っています。”

憧れがカタチになった

私にとって思い入れのある物件を素敵なご夫婦に住んでいただけることになって、本当にうれしかった。
接客に憧れて転職した不動産営業。私が求めていたものがこのお客様でカタチになったこともうれしかった。

カードの最後には“遊びに来てください”と書いてあった。

そうだ!もうすぐ娘さんの2回目の誕生日だ。

プレゼントは何がいいかな。

2017-10-23 13:25:11
一つの土地を売主様から買主様へ橋渡しする仲介。
売主様がその土地を購入した目的と手放す理由。買主様が即決した理由。
すべては子供を思う親の気持ちが込められていた営業のお話。




新居となる物件の契約が取れた時、それまで住んでいた家の売却をお手伝いすることは珍しくない。
しかし、加えてもうひとつ不動産の売却を依頼されることは珍しい。
つまり新居の購入とふたつの不動産の売却ということだ。

「体調もあまり良くないし、娘夫婦の近所で息子と住みたい。」

そう語る年配の女性は、新居資金の足しにしたいと遠く離れた東北のとある町に所有する土地を“もうひとつの売却”として望んでいた。

土地勘のない遠く離れた物件を扱うことは想像以上に困難だ。
現地の不動産屋に電話で相談したがどこも門前払い。
きっと東京の不動産屋が絡んでいることが面倒臭かったのだろう。

頼まれたら断れない性格の自分だが、ひと月何も進展しないと引き受けたことを後悔するようになっていた。
やはり、遠方だからといって渋っていてはいけなかったと反省もした。

「現地を見てみるか!まずはそこからだな。」

アドバイスをくれた上司と現地へ行ってみることにした。
頼られた以上は覚悟を決め、最善を尽くした結果を売主様へ報告することが責任を全うすることであり自分のやるべきことだと思った。



日常の仕事を終え、22時ごろ上司とクルマでその土地へ向かった。
東北新幹線の停車駅がある開けた町に到着したのは午前3時。浅い睡眠から目覚めると外はどしゃ降り。
朝食を摂って9時過ぎに市役所で土地や所有者の確認を済ませると、依頼された土地へ向かった。

雨がひどかったので車内に上司を残して、更地状態の土地を確認しながら写真を撮っていた時だった。

「どうしました?」

お隣に住む女性が声を掛けてきた。雨の中、東京ナンバーの車が停まり、見ず知らずの男が何やら写真を撮っていれば不審がられても仕方ない。

「地主様に売却の依頼をされた者です。」

そう告げてしばらく立ち話をしていると、「雨も降っているし、ちょっと寄って行きなさい。」という言葉に甘えて、女性のご自宅に上らせていただくことになった。

東京のどこから来たの?車で来たの?
そんな世間話がほとんどで隣の更地については、幼かった頃の娘や孫が遊び場にしていたという話や雑草が鬱蒼となれば虫やヘビなども住み着いてしまうし、何よりも見た目が良くないということで草むしりなどの手入れを続けてきたということくらいだった。

「うちで買いたいけど、おいくらなの?」

突然の申し出に少し驚いた私は、事前に調べた相場よりほんの少し高い金額を提示した。
ところが“隣接する100坪の更地”はとても魅力的だったようで、「その金額なら・・・」とふたつ返事で了承いただけた。
1ヶ月以上悩み続けたのはなんだったのだろうか。わずか30分もしないうちに買主様が見つかった。

出してくれた紅茶とケーキで世間話に華が咲くと、やがてお婆様が加わり、次に娘さん、そのお子様と輪が広がっていった。
4世代が同居するご家族だった。

「お昼食べていきなさいよ。」

そう勧められた時に車で待つ上司を思い出した。
とても温かい“おもてなし”に、気付けば1時間ほどお邪魔していたことになる。

車に戻った私は、上司に買主様が見つかったことを報告した。
すぐさま2人で現地の測量士や司法書士などを探し出して電話で作業を依頼した。

その晩に飲んだお酒は、最高に旨かったことは言うまでもない。


数日後、売主様のご自宅へ伺い、買主様が見つかったことを報告した。

「ありがとう。でも、寂しいですね・・・」

そう呟いた売主様の目には薄っすら光るものがあった。売主様にとって、とても思い入れのある土地だったという。

30年ほど前、娘と息子を連れて東京に出てきた売主様であるお母さんは、売却地からほど近い場所の出身だという。
長くその近隣で生活しており“息子の将来のために”と訳あって別れた旦那様と相談して購入していたのがその土地だった。

「あの場所を手放すと思うと、もう帰る場所がなくなって、いろんなものを失ってしまう感じがして・・・」

私に返せる言葉があるはずもなく、ただ黙って頷くだけだった。


半月後には測量も終わり、買主様との契約へと進んだ。事前の電話確認で、住宅ローンも問題ない。ふたたび、あの4世代のご家庭を訪ねた。

「隣はね、娘家族のために使おうと思っているの。」

買主様であるお母さんの目にも光るものがあった。


すべては息子のため。娘のため。

売主様と買主様はお隣同士ではあったが、ご挨拶をしたことがある程度の関係だったという。
しかし、ひとつの土地をめぐって、売主様と買主様それぞれの強い思いが伝わる商談に携わることができた。

一方は、息子の将来のために購入して、息子と同居するために手放す。
一方は、幼かった娘や孫が遊んでいた場所を娘家族のために購入する。
どちらも子供の将来を思う親の気持ちが伝わるものだった。

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