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2017-09-18 12:13:40
【泣ける住宅購入】お客様の夢を叶えたあいさつまわり
“あいさつまわり”と思えばいい。
上司からの指示で行った飛び込みで、
お客様の夢を叶えた営業のお話です。




ノルマを達成できないどころか、商談もうまく運べなくなっていた入社3年目の冬。
少し後ろ向きの姿勢になっていた私を見兼ねた上司からの指示だった。

「駅近くの社宅。再開発で取り壊しになるから、挨拶まわりに行ってきなさい。」

いわゆる“飛び込み営業”だ。現地見学会や店舗での商談ばかりだった私は、「どうせ結果は出ないし、嫌がられるだけじゃないか。」という気持ちから、とにかく“飛び込み営業”をやりたくなかった。

指示された社宅は、誰もが知っている大企業のもので、100軒近い世帯が入る大きさ。その大きさに嫌気がさしたが、“上司から指示されたから”くらいの気持ちで社宅へ向かった。


家事の邪魔にならない頃合いを見計らって、一軒一軒インターホンを鳴らしてまわった。2月の寒い夜だけに、ドアが開くことはほとんどない。

「こんばんは。ハウスプラザです。夜分、すみません。近くに物件が出たのでご紹介に・・・。」

不動産の営業とわかるとインターホンはすぐに切られてしまう。こんな感じで3日後にはすべてを回りきった。
半数はすでに退去済み。残りのほとんどは、まともに話を聞いてもらえなかったが、それでも4軒から物件資料の依頼があった。

(上司のしたり顔が目に浮かぶな・・・)

すべての報告を上司にすると「言った通りだろ?」と得意そうに笑みを浮かべていた。


引き合いのあった4軒も話を詰めていくと、2軒が減り、1軒は現地見学会で応対した同僚が営業担当として商談。一週間ほどで残りは1軒になった。

1回の商談で長時間話すよりも会う回数を重ねたかった私は、最初の挨拶と同じ家事の落ち着いたころに4度目の訪問を行った。
毎回玄関先で立ち話してくれるのは奥様だった。

「ここ、取り壊しになるそうですね。」

初めてそのことに触れると、奥様は堰を切ったように語りはじめる。

「ふたりの小学生の女の子と幼稚園に通う男の子がいるんですよ。」
「新しい社宅もあるけど、子供がいるから学区から出たくない。」
「姉妹でひと部屋使っているから、息子がね・・・」
「主人は乗り気ではなさそうだけど、否定もしないんですよね。」

そんな奥様からは、真剣に検討していること、新築への憧れなどが伝わってきた。
そこで内見を勧めてみると、まずは奥様だけを平日にご案内することが決まった。


はじめて明るい時間にお会いした奥様は、薄ら暗い玄関先とは違っていた。
部屋の明るさや天井の高さなど、資料から読み取れない情報を内見でひとつひとつ確認していくその姿はとても意欲的だった。

「この物件、内装をカラーセレクトができるんですよ。」

それを耳にした奥様は、ワントーン上がった声で反応した。

「へぇ〜、自分で選べるんですか!?いいですね。」

そう言うと、リビングは・・・キッチンは・・・子供部屋は・・・と呟きながら、それぞれの内装イメージを膨らませていたようだった。
きっと奥様の中の夢が大きく膨らんだ瞬間だったに違いない。

その週末に、あらためて家族5人で内見を行った。奥様からひとりで内見した感想を聞いていたご主人は、「家族の意見を尊重します。」と言っている。
そして、3人のお子様と奥様の喜ぶ姿を見てご主人は腹を決めたようだ。

「来週末、実家に行って両親に報告してきます。契約の話は戻ってから。」

私にそう伝えたご主人の横にいた奥様は、あと少しで夢が叶うという喜びが溢れんばかりの表情だ。
私はご両親用の資料を作成してお届けする旨を伝えて、その日の内見は終了した。

ご家族の夢、とくに奥様の夢をサポートするつもりでご主人の両親が安心納得できる資料作りに励んだ。
物件資料やローンの資料だけでなく、大学や病院などの優れた生活環境もしっかりとアピール。
ご両親の資料は文字を大きく見やすく工夫して、家族5人で内見した翌日いつもの時間帯にお客様の元へお届けした。


ご実家から戻った翌日の午前中に、奥様から「ご両親も応援してくださることになった。」という報告の電話が入った。

「私、娘たちと一緒で、子供の頃は姉と一緒の部屋だったんです。自分だけの部屋にずっと憧れていました。だから、いつか自分の子供たちには部屋を・・・って思っていたんです。でも、ちょっと贅沢かなぁ。早いかなぁ。」

新たな悩みのようにも聞こえるが、その声には明るさがあった。

“夢を叶えるサポート”に徹した営業

いつも玄関のドアノブを背中に感じながら“奥様の夢を叶えるサポート”に
徹した控えめな営業が良かったのかもしれない。

積極的にガンガン攻めるのが苦手な性格で、“飛び込み営業”は本当にやりたくなかった当時の私。
でも、営業としての幅が広がったこの時のことを忘れないために、今では自分の意思で年に数回“挨拶まわり”と称して飛び込み営業を行うようにしている。