<< 2018年8月 >>
記事カテゴリー
月間アーカイブ
|
1/1ページ
2018-08-23 15:58:55
「2DK窓なし一戸建てをすぐ欲しい。」
奇妙な条件とその理由を明かさないお客様に、 経験で培われた常識を覆された営業部長のお話 「部長、どうしたらいいのか・・・。」 困り顔をした営業マンが相談にやってきた。 「お客様が『2DKの一戸建てが欲しい』と言うんです・・・。」 人気物件や掘り出し物件をオススメしても、家族が増えたり住み替えたりといった将来的なことを提案しても、お客様は首を縦に振ることがないという。じっくり話を聞く必要があると感じた私は、部下の営業マンにお客様をお連れするよう指示を出した。 「夫婦ふたりだから2DKでいいんです。」 約束の日、営業に促され来店された男性の要望は全くブレなかった。さらにもうひとつ難解な条件が追加された。 「窓のない家が欲しい。」 お客様に事情を尋ねても住宅事情を説明しても“夫婦ふたりだから2DKでいいんです”と繰り返し、「とにかく早く。急いで欲しい。」と付け加えた。 “窓のない2DKの新築一戸建て” そんな建売物件など存在しない。2DKの間取り条件だけならまだしも、窓がない家なんて皆無だ。フルオーダーで建築すれば4LDK以上の建売住宅を購入することも可能なのに、お客様は“窓のない2DK”しか頭になかった。 長く不動産業に携わり、多くのお客様に物件をご提供してきた私も“利のない物件”を望むお客様に戸惑った。 「最適な土地探しからはじめさせていただきます。」 お客様の意向を汲み部下へ指示を出すと、男性は深い深呼吸をして席を立った。 「とにかく時間がありません。宜しくお願いします。」 そう言い残した男性を見送った私の頭の中にはモヤモヤが拡がり、時間と経過ともにより一層深く濃くなっていった。 数日後には土地が見つかり、部下がお客様に提案したときだった。地測量図を鞄から取り出し、説明しようとした営業マンを男性は遮った。 「2DKの家が建てられるんですよね?それならば見学の必要はありません。今すぐ契約します。」 見学もせずに契約を申し出るお客様は初めてだ。所在地さえ説明していないのにお客様は契約を急いだ。 “2DKの家を作ってくれ” “窓のない家が欲しい” “見学は必要ありません” “今すぐ契約します” より一層深く濃くなるモヤモヤに、よからぬことを想像したこともあった。その頃、奥様に一度も会っていないことに気付いた。 多くの疑問を抱えたまま物件を引き渡し1年が過ぎた頃、お客様を担当した営業マンがやってきた。 「部長、お客様の奥様が・・・。ご主人が『お通夜に参列して欲しい』と・・・。」 久しぶりに届いたお客様の近況は訃報だった。 部下と向かった斎場には初めて拝見する奥様の写真が飾られていた。ほっそりとした写真の中の奥様は、ニット帽を目深に着用していた。 「妻は新しい家をとても気に入っていました。『楽しい、楽しい』って毎日のように掃除をしていました。」 ご主人はぼんやりと写真を見つめながら生前の奥様の様子を私たちに語り、契約を結んだ時には末期がんだったことを知った。 「実は全て知っていました。」 参列していた設計担当の先生が口を開いた。窓のない家を望むお客様に建築基準法と消防法の説明しているうちに男性は事情を明かしていたという。 「奥様は何かに怯え、とりつかれたように家中を掃除するように・・・。」 抗がん剤の副作用で抜け落ちた自分の毛髪を見つけるたび、奥様は悲しそうに深い溜め息をついた。やがて長さの違うご主人の毛髪さえ気になっていった。そして過剰に研ぎ澄まされた奥様は、宙を舞う微細な埃や塵さえも追いかけるようになってしまった。 そんな奥様の姿がいたたまれず、塵や埃を目立たせる強い自然光が入らない小さな家をご主人は望んでいたのだった。 「こんな・・・こんなに愛情の詰まった家・・・ないです・・・。」 いつもより細く揺れる声で経緯を話した設計士の先生の目は潤み、充血していた。 お客様の要望を思い返しながら答えを当てはめていくと、私の中のモヤモヤがひとつ晴れるごとにご主人の想いがズン・・・ズン・・・と繰り返し胸を鈍く刺した。 “2DKの家を作ってくれ” “窓のない家が欲しい” “見学は必要ありません” “今すぐ契約します” そこまで行った時、こみ上げる感情を自分で抑えられなくなり、人目をはばからず止まらない涙をボトボトと落としていた。 “最愛の人をおくる家” こんな住宅販売はもう二度と経験したくない。 我が家から天国へ “今日より明日、明日よりその先の幸せ望んでお客様は住宅購入する” その一心でお客様に多くの住宅をご提供してきた。しかし、ご主人の奥様への愛情が注ぎ込まれた住宅販売は、長い営業経験の中でもっとも強い衝撃を受けた。それまでの常識や当たり前をぐちゃぐちゃに破壊し、新しい見識や考え方をもたらした貴重な経験だった。 最愛の人をおくった家は、10年以上経った今も何ひとつ変わらず存在している。私は近くに行くたびに少し離れた場所から生活感だけを確認して当時の想いを馳せている。
1/1ページ
|