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2018-01-26 10:39:34
声が掛けられないほど人見知りのお客様。
引き渡しの時、お客様から頂いたものはネクタイだった。 家電量販店の販売員から転職した営業がお客様の夢を叶えたお話。 ハウスプラザに転職して間もない10年ほど前。不動産業界のことをよくわからずに現地販売を担当したときの話。 週末だけでなく平日も足を運び現地販売を行っていると、近隣住民の方と顔見知りになる。 挨拶したり軽く言葉を交わしたり、なかには物件の前を通るたびに必ずチラチラと見ていくご夫婦もいた。 物件の向かいのマンションに住むそのご夫婦は、バルコニーからこちらを眺めていることもあった。 ある平日、接客中に現地販売の看板を真剣に見ている女性が視界に入った。 向かいのマンションに住むあの奥様だ。接客が済むとタイミングを見計らったかのように奥様から声が掛かった。 「この間取りは、どの家ですか?」 その細々とした第一声に応え、私は9棟ある物件をひとつひとつ指差しながら会話を続けた。 「ぜひ週末にご主人とお越しください。」 そう促すと資料を持った奥様はマンションへ足早に消えていった。 その週末、向かいのマンションからご夫婦が出てくるのがわかった。 奥様はスッと私に歩み寄ったが、ご主人はどこか警戒している様子で少しずつ距離を詰めるように寄ってきた。 家電量販店で働いていた頃、人見知りが激しく自分から声を掛けられない人と接した経験が幾度とあり、まずは心の距離を縮めようと不動産とは関係ない会話を続けた。 物件の前を行ったり来たりするたびに、必ずチラチラ見ていたこと。 マンションのバルコニーから眺めていたこと。 私は担当してから二週間ずっとご夫婦が気になっていたことを包み隠さず話した。 「正直、『何やってるんだろう?』って思ってました。」 場を和ませるために笑いながらそう伝えると、奥様から2〜3歩引いていたご主人の表情が緩み、はじめてご主人の声を耳にした。 「ずっと気になっていたんです。」 その言葉をきっかけに、ご夫婦の心は解き放たれた。 夢はマイホームを持つこと。そんなご夫婦の目と鼻の先に、全9棟の物件が売りに出されたのは3ヶ月前。 まっさらだった土地には家がどんどんカタチになり、“売約済み”という張り紙が毎週のように増えていく。 マンションのバルコニーから日ごとに変わっていくその光景を眺め、焦りを募らせていたらしい。 そして、私に声を掛けてきた時には、あと2棟という状況だった。 “あのお客様と商談が決まってしまったら一生マイホームが買えなくなるかもしれない・・・” あの細々とした奥様の第一声は、そんな思いから精一杯絞り出した心の声だった。 人見知りで控えめな性格と自分たちを表現するご夫婦は、自ら他人に声を掛けることができず、押しの強いタイプの人は避けてきたという。 そんなご夫婦に声を掛けず笑顔で軽く会釈するだけの私がやがてほどよい距離感となり、奥様のご両親が不動産購入であまり良くない経験があったことも話してくれた。 気付けば物件の前で物件とは関係のない話を3時間も続けていた。 どのように次のステップへ商談を進めてよいかわからず、私は単刀直入に切り出した。 「どうされます?」 その問いかけに呼応したのは、ご主人だった。 「買いたいです。どうしたらいいですか?」 はじめてご主人の目と合った瞬間だった。 その日の夜に来店いただき、上司のサポートで資金計画の打ち合わせから契約まで済ませることができた。 引き渡し当日は、ご主人は仕事があり奥様ひとりだった。 「私たちの夢が叶いました。ありがとうございます。感謝の気持ちをうまく言葉にできないので・・・。」 そう言って手渡された物は、高級ネクタイだった。 当時の私はネクタイを2本しか持っておらず、いつも同じネクタイを締めていることに気付いていたのだろう。 いつもは“お気持ちだけで・・・”と丁重にお断りしているが、人見知りと言いながら私をちゃんと見ていた素敵な気遣いをさすがにお断りできなかった。 その夜、ご主人の帰宅する頃を見計らい和菓子の返礼を持ってマンションに伺った。 「妻の両親のことや他人に声を掛けられない私たちは、マイホームを生涯持てないと思っていました。本当にありがとうございます。」 ご主人の言葉を聞いた時、お客様の人生の転機となるこの仕事に転職して本当によかったと思った。 ネクタイとともに成長した新人営業 このお客様とは交流が続き、新年の挨拶状を毎年交わし、電話で話すこともある。 「こんな俺が買えたんだから、お前も買えよ。」 ご主人の幼馴染みを紹介してもらい、力強い助言もあって契約頂いたこともあった。 契約の時に着けていたのは、もちろん頂いたネクタイ。 初めて契約を結んだお客様から頂いたネクタイは、新人営業の成長とともにボロボロになっていった。 もう着用できないほど愛用したネクタイは、今もクローゼットにひっそりと並んでいる。
2018-01-18 15:31:22
契約や引き渡しは大きな節目。
ちょっと安心した時に判明した認識の違い。 お客様から届いた手紙。悔いだけが残ってしまった営業のお話。 「これはありえない。こんなこと聞いてないとふたりは言っています。」 お客様であるご主人のお父さんから発せられた言葉には、かなり強い語気が感じられた。 物件の見学から契約に至るまで何度も商談に同席した“息子さん思いの熱心な親御さん”というそれまでの印象を一変させた。 引き渡し直前に行われた内見で発覚した問題は、隣の家との間に設けられた“塀”が原因だった。 「物件見学や資料での説明の時に、隣家との境界線上に“塀”が設けられることを・・・」 そんな言葉を返したかったが、言った言わない問題になれば話はますますややこしくなる。私はグッと言葉を飲み込んだ。 翌週に引き渡されるマイホームの前で行なわれている私とお父さんのやりとりから身を隠すかのように、お客様であるご夫婦はひっそりと佇んでいた。 この物件の塀は、隣家との境界線上にブロックが等しく配置されていた。 少しでも広く土地を活用するために“お互いに土地を折半して塀を設けましょう”という都心のエリアでは一般的な方法だ。 このエリアで不動産営業を10年以上やっている私にとっても当たり前の認識であり、それが常識だと思っていた。 ところが奥様のお父さんの言い分は違った。 お父さんの住まいがある地域では、塀は必要と感じた方が自分の土地に作るもの。 境界線上に塀を作れば所有権問題が発生する。だから境界線上に塀が設けられることが“ありえない”という。そんなお父さんは不動産に関する仕事をしていた。 「境界線上に塀を作る場合、当事者間の同意が必要です。一方の当事者である娘夫婦が塀をいらないと言っている以上、相手方が塀を必要とするならば相手方の土地に設けるべきです。もちろん費用負担は塀を設ける側になります。」 のちに調べたところ、民法上はそのとおりだった。でも腑に落ちない。 (塀があることを同意の上で契約したはず・・・引き渡し直前に言い出すなんて・・・) モヤモヤが渦巻いていた時、ことの成り行きを相談した上司からのアドバイスで少し目が覚めた。 「まずはお隣さんが塀をどうしたいか聞きに行ったら?」 私がやるべきことは、隣人同士が塀のことで揉めないように話をつけておくことだった。 先に入居していたお隣さんへは、隣人の入居が決まった報告としてアポイントをとって伺った。 しかし、自分の担当でもない不動産仲介が手土産持参で挨拶に来れば何かあったと勘ぐるのは当然だ。 「何かありました?」 お隣さんのその言葉をきっかけに、境界線上の塀のことや隣人が塀を望んでいないことなど、洗いざらい伝えた。 お隣さんの中に遺恨を作らないことが何よりも大事な使命で、“何を今さら”と怒鳴られることも覚悟していた。 「トラブルになるのは、ねぇ・・・。うちはいいですよ。」 工事費用は仲介であるハウスプラザが負担することを条件に、塀をお隣さんの土地に設けることを了承していただけた。 すべてを聞き入れてくれたお隣さんが、救いの神のように見えた。 塀をお隣の土地に移動する了承が得られたことをお客様に報告すると返ってきたのはたったひとことだった。 「はい。わかりました。」 塀の問題でお客様との間で心の壁ができた瞬間だった。 引き渡し後、事務処理でそのお客様とやりとりすることはあったが、わだかまりは解消されなかった。 それは相手にも伝わるもので、よくないミラー現象だ。お互いにそっけない態度となり、事務処理が片付くと次第に疎遠になった。 引き渡しから1年ほど経過したある日、お客様に加入していただいた知り合いの火災保険の営業担当から電話が入った。 「引っ越したよ。」 お客様から保険解約の申し出があり、不審に思ったその営業担当が詳細な理由を聞き出してくれていた。 入居してすぐにご主人は地方への転勤が決まった。 その家族には単身赴任の選択肢はなく、友人・知人・親戚に借り手がいないか探してみたものの最終的にその物件は他社で売却されてしまっていた。 転勤・賃貸・売却、不覚にもすべて知らなかった。 そしてその数日後、ご夫婦から手紙が届いた。 夫婦として新居への思いはいろいろあったが、感謝していること。 塀の件は、そのままでも良かったが言い出しにくい雰囲気になってしまったこと。 お父さんとのことがあり売却をお願いしにくかったこと。 そして謝罪の言葉が綴られていた。 私には後悔だけが残ってしまった。 慢心がもたらしたこと “何かあればお客様から連絡があるだろう” そんな思い込みがあった。不動産仲介に携わり続け、契約や引き渡しを節目にしてしまった慢心が引き起こしたことだった。 今ではそれが教訓となり、自分なりに気付き考えうるお客様のデメリットをきちんとお伝えするようにしている。
2018-01-11 15:05:23
つたない接客をしてしまった新人営業。
営業としての成長を見守り続けたお客様から知人を紹介してもらうまでの人間関係を作り上げた営業のお話。 3月になろうとする頃、桜の木が延々と植えられた小さな緑道沿いにある物件の現地販売を担当していた。 私の取り柄でもある人懐っこさや愛嬌のよさを感じたご近所の方が教えてくれた。 「散った桜の白い花びらが、川や一本道のように続くの。そこを散歩するのが毎年楽しみ。」 一年でわずか数日しか体験できないというその光景は、住民だから楽しめる特権だ。 “桜が満開になるまでに契約まとめよう” そう心の中で決めて現場に通っていた頃、30代後半のご夫婦がやってきた。 近所に勤め先がある奥様には土地勘があって、その環境の素晴らしさで会話が盛り上がった。 完成間近だった物件の二階にあるバルコニーへお客様を案内した。 緑道を指さしながら眺めるご夫婦。お客様はこの物件をとても気に入り、“私にとって2組目のお客様になってくれる”という思いが高まった。 数日後、資金計画の打ち合わせをしている時に小さな問題が起こった。 お客様に非がなく、私が無知だったことと拙い応対が原因だった。 “車のローンが残っており、住宅ローンを組むにあたり支障が出る” こんなケースはよくあることで営業を数年経験した今の自分なら対処方法も知っている。 しかし、2件目の契約を目の前にした新人営業には、何をどのようにどう処理すればいいのかわからなかった。 ローンの残債を上司に相談して、手順や方法など教えられたことをそのままお客様に伝えていた。 しかし、子供のお遣いみたいなもので、私はお客様や上司の言っていることがほとんど理解できていなかった。 自分が理解できていないと拙い接客となり、“この営業、大丈夫?”と思ったお客様はさらに不安が大きくなっていく。 数日後、“担当を変えて欲しい”と連絡が入ったことを上司から聞かされた。 「担当は変えない。やり方は任せる。」 上司のひとことは、責任から逃れるために担当を降りてしまいたいと思った私を強く刺激した。すぐさまお客様のもとに向かい、至らなかった点を謝罪した。 「私たちは家を買うのがはじめてだから、不安や心配があります。だから、営業のあなたが私たちを安心させてください。」 その時、はじめてお客様が私に求めていたものが何だったのか気付いた。 それからしばらくは、“不安を与えてはいけない”という気負いがあり、お客様との商談は常にプレッシャーを感じた。 そんな私でも、お客様は温かく迎えてくれた。 お客様に報いるため、わからないことは上司に何度も尋ねたり自分で調べたりして、自分の中で理解することに努めた。 執拗な私に上司は呆れたかもしれない。それでも自分が理解できてお客様にうまく説明できると拙さは次第に薄れ、なんとか契約を結ぶことができた。 「あなたでよかったです。」 引き渡しの時にお客様からいただいた感謝の言葉は、嬉しさより驚きの方がはるかに大きかった。 担当が変われば、すんなり契約はまとまっただろう。 迷惑をかけてしまった新人営業の私に成長する機会を与えてくれたのはお客様だ。 「こちらこそ、拙い営業で申し訳ございませんでした。」 そう感謝を伝えるのが精一杯だった。 引き渡し後も電話したりご自宅に伺ったり、お客様との交流が続いていた。 そんなある日、お客様の新居に魅了された同僚女性を奥様から紹介いただいた。 お客様からの知人紹介は、お客様と営業の信頼関係がうまく構築できた結果であり、とても嬉しかった。 しかし、紹介されたお客様は新居への憧れが強く、希望の物件はなかなか見つからず時間ばかりが過ぎてしまった。 「物件探しに時間がかかりすぎるのは営業に責任があるんだよ。」 先輩からそう指摘され自覚もしていたが、なぜ見つからないのか原因がわからず現状を打破できずに1年を経過してようやく契約にたどり着けた。 契約が結ばれた夜、お客様に了承を得て紹介者である奥様に連絡をした。 ご紹介者の成約という報告をきっと喜んでくれると思ったが、そうではなく、とても驚いていた。 「見つからないと諦めかけていたのよ。彼女たち『1年も物件を見ると、どれがいいのかわからない』って悩んでいました。探し疲れ?それもあったみたい。」 物件が見つからないのではなく選べなかったのだ。 物件探しに時間がかかりすぎたのは、すべてをお客様に委ね決断しやすい提案ができなかった私に原因があった。 それを反省していた時、不意打ちのように期待していた言葉が耳に入ってきた。 「よかったですね。おめでとうございます。」 安心したのか、なぜか胸がジーンと熱くなっていた。 営業を育ててくれるのはお客様 いろいろ迷惑を掛けてしまったこのお客様には、自分が理解することや状況を察することなど営業として成長する機会を与えてもらった。 わからないことに気付けない新人営業の私を育ててくれたのはお客様であり、信頼関係がとても大事なこともお客様から教えてもらった。
2018-01-05 12:00:05
会社のため。同僚のため。お客様のため。
常に何かのためにベストを尽くすのはなぜか? 恩に報いるために活動する自分に愚直な営業のお話。 ハウスプラザは、城東エリアを中心とした地域密着型の不動産業者。 知名度はもちろん、地域のお客様や売主様から信頼される存在であると社員一同自負しているはず。 ところが積み重ねられた信頼と実績の上で商売をすることが、どれほどの恩恵を受けていたのかを浦和に開設した新店舗で身をもって体験した。 地域密着型であるがゆえに、城東エリアから離れた浦和では売主様や物件の新規開拓から始めなくてはならなかったからだ。 浦和の街には、カッコイイ物件や誰もが憧れる物件、扱いたくなる物件がたくさんある。そんな物件を見つけては、売主様と交渉した。 「私に扱わせてください。」 「私に任せてください。」 しかし、誰もが扱いたくなるそんな良い物件をおいそれと新参者に任せてくれたりなどしない。付き合いが長く好意的な不動産業者もいるだろう。 (無下に断ることができず、一応話だけは聞いてくれている・・・) 明らかにそんな感じでほとんど門前払いに近い印象。悪い表現かもしれないが“はいはい”と聞き流していることが営業の感覚でわかってしまう。 それでも熱意だけは伝えるように心がけた。 その熱意は、昔から続けているボクシングで培われた不屈の精神が自分自身を奮い立たせたからだ。 (自分から退いたら負けだ!) いい物件を扱うために何度も交渉を重ね、難しい物件を扱ったり、先にお客様を見つけて物件を扱わせてくださいと頼み込んだりもした。 一歩一歩、着実に信頼と実績を積み上げていくと売主様も認めてくださり、少しずつ“良い物件”を任せてくれるようになった。 そこまで強い気持ちで売主様との交渉に挑んでいたのには理由がある。 “お客様にベストなものを提案したい”と思う営業魂はもちろんだが、ハウスプラザからもらった恩に報いたかったからだ。 ハウスプラザでの不動産営業の仕事もハウスプラザという会社そのものも好きだが、ひとつのことしかできない性格。 プライベートの問題でそちらに集中せざるを得なくなりハウスプラザを二度も退職した。 もちろん、そんな自分勝手な理屈が一般社会で通用しないこともよくわかっていた。 求職中に今の上司となる人にアドバイスを求めたことがきっかけだった。 当時、ボクシングトレーナーをしていたが家族を養うには心許なく、同業他社への再就職を考えていることを打ち明けた。 「そこまで真剣なら、まずはうちで面接受けてみたら?その方が働きやすいでしょ。それでダメなら他社の面接を受ければいい。」 ハウスプラザでの仕事に未練がずっとあった。二度も退職していながら受け入れてもらえるはずがないと思いつつ、やってダメなら次に進めばいいという上司のアドバイスに従った結果、ハウスプラザで働く機会が得られた。 (ボクシングならダウンは二度まで。三度目は試合終了。与えられたチャンスに報いなければ・・・。) そんな思いで日々、仕事に取り組んでいる。 ハウスプラザには、様々な面で優れた営業がたくさんいる。 時間をうまく使える営業。資料作りがうまい営業。パソコンが得意な営業。提案がうまい営業。アフターフォローが抜群な営業。 そこで自分は抜きん出た能力を身につけることではなく、ハウスプラザでの居場所を自分で作ることにチャレンジした。 ——上司・同僚・後輩といったすべての営業が働きやすい環境を作ろう!それがハウスプラザへの報答になる—— 導き出した結論をもとに、自分なりのチャレンジを続けている。 営業なら誰もが扱いたくなる物件を見つけ出す。 任せてもらえるように売主様と交渉する。 その物件を同僚たちにも扱ってもらう。 その物件を購入したお客様に“ハウスプラザでよかった”と満足していただく。 これが自分なりの居場所であり、ハウスプラザのためになること。そんなことを思いながら営業活動をしている。 現在は浦和を離れてしまったが、当時の売主様がこんな嬉しいことを言ってくれた。 「そっちに家を建てるときがきたら、すべてあなたに頼みますよ。」 チャンスを生かしてチャレンジする 誰にでもチャンスをくれる会社。何度でもチャレンジできる会社。 本人にやる気があれば、若い新入社員も同業からの転職者も自分のような出戻り者も平等にチャンスやチャレンジする機会を与えてくれる。 そんな会社はそうそうあるものではない。 こんな素晴らしい環境で働き続けるために、そして何よりお客様に満足していただくために、今日も素晴らしい物件探しを続けている。
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